鉛筆礼讃|鉛筆の話(壱 )


鉛筆は最初どう使われたのか?
鉛筆といえば、まず文字を書くものという答えが返ってくると思いますが、鉛筆の故郷ヨーロッパでは、罫を引いたり、絵を描いたりするものとして発達してきたようです。ヨーロッパには、葦ペン・鷲ペンの文化があり、鉛のペンシルは芯を棒状にし、先を尖らせた程度のもので、細かい文字を描くのにはむいていなかったからだ、という説があります。

鉛筆は、なぜ"鉛"筆なのか?
鉛筆の芯は、黒鉛(blacklead)で鉛(lead)ではないのですが、なぜ鉛筆なのか。実は、黒鉛が発見される前には鉛のペンシル(leadpencil)が実際にあって、黒鉛が使われ始めた後も"鉛ペンシル"と呼んでいたため、それを直訳して「鉛筆」となったようです。鉛ペンシル以外にも銀、金、真鍮、青銅などもあって、レオナルドヴィンチの素描の中にも銀筆で描かれたものが見られます。激動のルネッサンスの中で鉛筆も時代にもまれ、ボローデール山脈から発見された不思議な物質は、僅か200年で掘り尽くされてしまいます。

消しゴム付き鉛筆は誰が考えた?
アメリカのある絵描きさんが考えたそうですが、この人はデッサン中にすぐ消しゴムをなくしてしまう癖があったようです。特許を正式に取ったのは、アメリカフィラデルフィアに在住のハイマン・L・リップマン、1858年。考案者でない人が特許を取るところが、いかにもアメリカらしい。

黄色い軸の消しゴム付き鉛筆「MIRADO」
黄色はアメリカ人の好きな色で鉛筆の軸も黄色でないと売れない、というような真偽のほどは定かでない話が昔ありました。そのアメリカでポピュラーな黄色軸消しゴム付き鉛筆がMIRADO。『硬度はMEDIUM/SOFT/B、ブランドはEAGLE,made in usa』というのはもう30~35年前の話。現在は、硬度4B~4H(消しゴムなし)、硬度HB(消しゴム付き)で、メーカーブランンドはBEROL。
そしてもっと昔、「MIRADO」は、「MIKADO」という名前でした。イーグル社の公式社史には、『真珠湾開戦まではMIRADOはMIKADOと呼ばれていた』と書かれています。第2次大戦前に日本製の鉛筆がアメリカで販売されていて、これがなかなか好評だった。そうした背景の中で日本語が名前になった「MIKADO(帝)」という鉛筆がありました。ところが戦争になって、敵国語の名前はよろしくないということで変更を余儀なくされてしまい、もっとも経済的なその納まりどころというのが、Kの文字の上をつなげてRにする、というものでした。

鉛筆の軸の色
鉛筆の軸色は、メーカーそれぞれ固有の色を持っています。フラッグシップグレードの黒鉛鉛筆にこのメーカーカラーが使われています。たとえば、ドイツのファーバーカステルはグリーン、ステッドラーはブルー、アメリカのイーグルは黄色、といった具合です。とは言うものの、グレードを別にすればいろんな軸色の鉛筆が発売されています。黄色軸鉛筆はアメリカ向けの商品、というイメージです。
ファーバーカステルのロゴにも描かれている槍を抱えた馬上の騎士が馬上の敵を射抜く図柄は、元々はグリーンのファーバーカステル9000番鉛筆槍を抱えた騎士が、黄色の鉛筆槍を抱えた馬上の敵を黄色鉛筆槍をへし折り射抜く場面で、これはいかにも刺激的な鉛筆戦闘図柄ですが、現在は、文字とともにロゴの一部として使用されています。
ファーバーカステルのグリーン色は塗装を水性に変えて以降、残念ながら昔の軸のイメージと少し違ってきましたが、環境への配慮はもっともなことです。

鉛筆の軸はなぜ六角形?
一般的には、『①鉛筆を握る場合3点で支持するので3の倍数である必要があって、その中で六角形が良い②転がりにくい』というのが定説です。日本のメーカーでも同じ様な説明です。①はもっともらしい話で、事実指の納まりがいいので説得力があります。考えた人は、そう思って作ったのかも知れせん。六角形ではなく3角形の鉛筆もあります。ところが、長時間鉛筆を使用するという前提になると、3の倍数で鉛筆を保持することを強いられるのは、とても疲れる感じがあります。その昔、カメラのグリップ部が人間工学的云々と言って握り手の形になったものがありましたが、いかにも握り易そうなのですが、道具として長時間使うと逆にすごく疲れます。人間の指は意外とファジーなのです。
六角形の鉛筆を最初に作ったのは、ドイツのファーバー社、1851年のことです。この時の社主が、ロータス・フォン・ファーバーで、鉛筆史上はじめて鉛筆の長さ・太さ・硬度を定め、これが世界的基準となったと言われます。ファーバー社は、後に、ファーバーカステル社となります。
鉛筆の長さの基本サイズは174mm(JIS規格172mm以上)ですが、規格の始まりの基準はあまりはっきりしません。おそらくは、人間の身体尺度から割り出されたものなのでしょう。

ヨーロッパの鉛筆とアメリカの鉛筆
鉛筆の新品は、日本では削っていないものが当たり前ですが、ヨーロッパの人にとってはあらかじめ削ってあるもの、アメリカの人には削っていないものが当たり前なのです。鉛筆も世界グローバルになっているので、現在はすべてがそうなっていないかも知れませんが、国民性というのは不思議なものです。
ヨーロッパの鉛筆とかアメリカの鉛筆とかと言ってもメーカーの系譜というのは、歴史の中で企業やブランドの買収があったり、亜流が発生するため複雑です。アメリカ生粋はイーグル社で早くからイギリスへ進出して種々のブランドを獲得していますが、ヨーロッパ系のSanford UKの翼下となりました。また、ファーバーカステルはドイツのメーカーですが、1900年頃アメリカのニューヨークでファーバー製品を輸入・販売する会社が、南北戦争で輸入が途絶えたため製造も行う様になり、この会社がファーバーを名乗りアメリカでの鉛筆作りのさきがけになったと言われますが、その後、本家のファーバーカステル社の出資の会社がアメリカで設立され、当時2つの別のファーバー社が出来てしまいました。

鉛筆の硬度レンジ
鉛筆の硬度は、一般的にHとBが使われます。HはHARD(硬い)、BはBACK(黒い)という意味です。この表示法を考えたのは、フランスのニコラス・ジャック・コンテ、1795年のことです。この人は、他に芯を高温で焼き上げることや芯を軸木で包むことを考案し、さらに色鉛筆作りの元祖でもあり、鉛筆を語る上で忘れてはならない人です。



さて、18世紀に始まった鉛筆の歴史、その場所はどんな所なのか、そして今どんなアクションを起こしているのか!
250年を迎えたドイツのファーバーカステル社のビデオ をご覧下さい。









コメント