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明治期以前の西洋絵画と日本との関わり

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現在(2016年12月)『世界に挑んだ7年_小野田直武と秋田蘭画』展が開催中です。 Θ会場:サントリー美術館 東京都港区赤坂 六本木・東京ミッドタウンガレリア3階 Θ会期:2016年11月16日-2017年1月9日 Θ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_5/ 小野田直武(1749-1780年)、というとあまりピンとこないかも知れませんが、江戸時代に杉田玄白等によって翻訳出版された解剖書「解体新書」(1774年、安政3年)の挿絵を描いた人物です。もともと秋田藩士で幼少期から絵画に勤しみ狩野派に学びました。 ©国立国会図書館 1773年、平賀源内が鉱山開発のために幕府から秋田に派遣された折に、角館の地で小野田直武は源内と出会い、西洋画の陰影法や遠近法に触れ、後に秋田藩主の命で江戸へ出向き、源内の人脈で蘭学者と出会い、「解体新書」の図絵を手掛けることになります。 時代は明治維新のおおよそ100年前、小野田直武と秋田蘭画の作品を通して、当時日本にもたらされていた西洋画風絵画の一端を見ることができます。 明治以降本格的に西洋画が日本に移入されてきますが、西洋画と日本との関わりはそれよりはるか前に始まっています。 西洋の絵画が日本に伝わったのは、16世紀後期の戦国時代、ポルトガル船の来航の頃と考えられていますが、その絵はキリスト教の布教活動とともにもたらされた聖画像でした。 時代が下り徳川幕府鎖国時代、当時唯一海外に開かれた窓口であった長崎では、今日のような本格的な技法ではありませんが、長崎派と呼ばれる油彩画が描かれています。また、ヨーロッパのガラス絵の輸入に伴い、長崎で西洋趣味のビイドロ絵(ガラス絵)作りが盛んになります 一方の江戸では、蘭学が広まり始めていた時期で、平賀源内(1728-1780年)が油彩画を描いています。 当時の江戸を代表する西洋風画家司馬江漢(1747-1818年、=浮世絵師鈴木春重)は源内と交流があり、その縁で小野田直武から西洋画を学び、1788年には長崎を訪れ、ガラス絵や油彩画、またそれらの一体物としての額縁を目にします。 江漢の描いた油彩画は今日のような本格的な油彩技法ではなくいわゆる密陀絵です。画面保護の目的も一方ではあったとはいえ、江漢は油彩画作品以外で