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東京オリンピック1964~2020

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東京オリンピック・パラリンピック(2020)まであと1000日程となって、何かとオリンピックの話題の多い昨今の日本です。 東京オリンピック(1964年)当時のもので今でもあるもの、ということで、「オリンピック記念貨幣100円銀貨(1964年/昭和39年発行)」、そして当時使われていた「50円ニッケル貨幣〈有孔〉(1964年/昭和39年発行)」、そして2020年を待たずに年号が変わってしまう「平成」年の記念貨幣「天皇陛下御即位記念貨幣500円白銅貨(1990年/平成2年発行)」の3点を飾りました。 上:天皇陛下御即位記念貨幣 500円白銅貨 左下:50円ニッケル貨幣〈有孔〉 右下:オリンピック(1964年)記念貨幣 100円銀貨 東京オリンピック(1964年/昭和39年/10月10日~24日)の時、私は小学生で、競技をテレビで観ていたものの、当然ながら社会情勢的なことは理解しようがありませんが、1964年のオリンピックを振返る番組を近頃観ていると、当時の世界情勢や開催までの道のりなどなど、そうだったのかと今更ながらに思うことが少なくありません。 初めてオリンピック競技に採用された柔道の試合の無差別級で、日本の神永昭夫がオランダのアントン・ヘーシンクに押さえ込みで負けた試合は、どういう訳かはっきりと覚えています。 オリンピック終了後に制作された公式記録映画が映画館で上映され、学校推薦映画みたいな感じで、見に行ったように思います。現代であれば、オリンピック総集編というような番組がテレビ局で制作され、テレビで完結してしまうところです。 開催日10月10日は、「体育の日」として現代に受け継がれています。 東京オリンピック(1964年)記念貨幣は記念貨幣の第一号で、額面¥1000と¥100の2種類が作られました。発行枚数は¥1000銀貨=1500万+1516枚、¥100銀貨=8000万+8056枚で、当時の日本の人口は、94,302,000人(昭和35年国勢調査、総務省統計局)ですので、¥100銀貨は国民1人あたり1枚という感じです。 ¥100銀貨の図案は一般公募され、応募総数30,512点。神戸大丸デパート勤務の前島昌子さん(20歳)の作品が選ばれ、賞金は50万円でした。 この「50万円」というのは現代の価値感覚で

色材_その系譜1

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現代では絵具の色は迷うほど沢山あるので、絵を描くとしてもさほど困ることはありませんが、さてさて、昔の人、さらにもっと昔の古代の人たちは、色の選択肢をどのくらい持っていたのでしょうか。 「顔料」という観点からその流れを大雑把に眺めてみます。 ◇◇~紀元前2000年◇◇ *特別の加工技術を必要としない身近な顔料利用の時代* ・白=堆積物白亜、 ・黒=木などの燃えた炭 ・黄系=黄土〈イエローオーカー〉(地中の土) ・緑系=緑土〈テールベルト〉(地中の土) ・茶系=アンバー(地中の土) ◇◇紀元前2000~1000年(エジプト古王朝時代)◇◇ *加工(粉砕や腐食)を必要とする鉱物顔料・人工顔料の登場した時代* ・赤、オレンジ、青、黄、緑=鉱物 ・鉛白 ・青系=エジプトブルー(ブルーフリット) ・黄系=マシコット ◇◇紀元前400~100年頃◇◇ *加工を必要とする新しい顔料の登場した時代* ・青系=インディゴ ・紫系=チリアンパープル ・緑系=ベルデグリ ◇◇13世紀~14世紀◇◇ *化学技術の発達で色数が大幅に増加した時代《ガラス産業や染色産業の発達》* ・黄系=鉛スズ系イエロー ・赤系=有機顔料(赤系のマダー、他)、新製法のバーミリオン ・青系=新製法のウルトラマリン ◇◇18世紀◇◇ 青系=プルシャンブルー〈北斎の浮世絵にも使用されたブルーです〉 黄系=ネープルスイエロー ◇◇19世紀◇◇ *さらなる化学技術の発達で色数が大幅に増加した時代* 《クロム系顔料、コールタール系レーキ顔料の出現》 ・黄系=クロムイエロー、カドミウムイエロー、コバルトイエロー、バリウムイエロー、ストロンチウムイエローなど10色前後 ・青系=コバルトブルー、人工ウルトラマリン ・緑系=ビリジャン ・紫系=モーブ(最初のコールタール系色) さて、「黄色」に限定してもう少し掘り下げて見ます。 Θ古くから利用されていた「黄土」は土から取れる最も身近な顔料で、色味は少し鈍い黄色です。 Θエジプト古王朝時代に登場する鉱物の黄色は「オーピメント」で、天然に産出しており、これを粉砕して粉にして水を加えてペーストにすると使用できるので、これも身近な黄色です。純粋なものは輝きのある「レモンイエロー」色を呈する様ですが、

葛飾北斎_HOKUSAI_TheGreatWave&RedFuji

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北斎‐富士を超えて〈あべのハルカス美術館〉が開催中です。 ~2017年10月6日‐11月9日あべのハルカス美術館  http://hokusai2017.com/ ~ 北斎の晩年30年の肉筆画を中心に約200点の作品展覧の英日共同企画展で、日本開催に先立ち、英国の大英博物館で「Hokusai_beyond the Great Wave」(2017年5月25日‐8月13日)が開催されました。 「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」©The British Museum 大英博物館にはアジア部門があり、数多くの様々な浮世絵コレクションがあります。 北斎関連コレクションは1000点ほどあり、英国開催の名称にもなっている「the Great Wave」〈「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」〉は3点のコレクションが見受けられます。 ・収得年1906年:Arthur Morrisonより購入 ・収得年1906年:Charles Rickettsより寄贈 ・収得年2008年:パリオークションで購入 この3点の中では2008年収得のものが一番状態が良い感じですが、先頃の企画展で展示されたものもこのプリントでした。 実際の額装展示では、作品イメージ周辺に余白を設けその周辺に額装台紙マド抜きが配置されていますが、この余白は版画の紙の余白ではなく、版画の周辺を隠さずに全面を見せるために特殊な方法で作品紙の周辺に補われた和紙です。 江戸時代に制作された錦絵版画は、使用された色材によっては光による退色が懸念されますが、大英博物館では公開前に自館コレクションの「レッドフジ」と「グレートウェーブ」の色材の分析調査を行っており、その結果は次の通りです。 ◇◇◇ =レッドフジ〈「富嶽三十六景 凱風快晴」〉= 「富嶽三十六景 凱風快晴」©The British Museum ・インディゴ:タイトル枠、署名、富士山の枠線、山の小さな木々 ・プルシャンブル―:空 ・プルシャンブルー+オーピメント:山肌の緑色域 =グレートウェーブ〈「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」〉= ・インディゴ:タイトル枠、署名、波の枠線、波の濃い青色 ・プルシャンブル―:波の中間色の青色 ・波の淡い青色については今後の調査を要する ・ボートの複数個所からヒ素が検出され、オーピメントの使用が示

錦絵と切手

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日本で発行されている切手の中では、万国郵便連合の万国郵便連大会議記念切手や「文通による世界の文化交流」キャンペーンに基づく国際文通週間記念切手に、日本イメージアピールに好適な錦絵図柄が使われているものがあります。 国際文通週間記念切手は額面が航空扱い国際郵便料金に対応しており、初回1958年~1962年は「歌川広重・東海道五十三次」、1963年~1969年は「葛飾北斎・冨嶽三十六景」が採用されています。 発行の年代は東京オリンピック1964年(昭和39年)前後にあたります。 当工房のコレクションより一部ご紹介いたします。 ※(注)実際の切手面には掲載写真にある「SAMPLE」の表示はありません。 1961年/東海道五十三次・箱根 -ARTVILET COLLECTION- 1962年/東海道五十三次・日本橋 -ARTVILET COLLECTION- 1963年/冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏 -ARTVILET COLLECTION- 1965年/鈴木春信・中納言朝忠/文読み -ARTVILET COLLECTION- Θ東海道五十三次の図柄は次の通り。 *1958年:京師(けいし) *1959年:桑名(くわな) *1960年:蒲原(かんばら) *1961年:箱根(はこね) *1962年:日本橋(にほんばし) Θ冨嶽三十六景の図柄は次の通り。 *1963年:神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら) *1964年:東海道程ヶ谷(とうかいどうほどがや) *1965年:甲州三坂水面(こうしゅうみさかすいめん) *1966年:隅田川関屋の里(すみだがわせきやのさと) *1967年:甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ) *1968年:尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)

浮世絵_錦絵

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浮世絵展「浮世絵揃い踏み-平木コレクション-」が開催されます。 Θ岡山県立美術館 Θ2017年7月14日~8月27日 今回の展覧は200点ほどで、歌川広重「東海道五十三次」版元の保永堂版初摺全点が展示されます。 歌川広重生誕220年にあたり、昨年は東京などで関連の展覧会が開催されましたが、地方都市での浮世絵作品群の展覧の機会は少なく、岡山地区での規模の大きな浮世絵展の開催は、2008年7月の「浮世絵の美展-千葉市美術館所蔵-」以来です。岡山近隣地域にお住いの方にはご覧になる絶好のチャンスです。 特に学生さんで、絵画に興味のある方はもとより、デザインナーを志す人たちにもお勧めで、印刷物や映像ではなく、本物を見ることが大切です。文化を理解することは、将来世界で仕事をするうえで大きな力になります。 浮世絵の基本的なスタイルは17世紀末に、浮世絵の祖、菱川師宣(ひしかわもろのぶ、1618-1694年)によって確立されましたが、表現手法は肉筆画や黒一色の版画で、版画による大量生産化によって絵画が安価に一般庶民にも手の届くものとなりました。 時は元禄文化の華やかな頃、絵画では漢画の狩野派、大和絵の土佐派・住吉派、装飾画の尾形光琳などの動きがみられますが、一方で一般の絵師たちは出版本や名所図絵の挿絵分野で腕を振るいます。世相趣向に沿った吉原モノ、歌舞伎モノ、名所記モノなどが人気を博すにつれて、文字と挿絵が主従逆転して挿絵が主役となって、最終的に独立してしまいます。こうして、浮世絵のスタイルが出来上がって行きます。版画の黒一色摺に後から着色したり、さらに2~3色で多色摺したものが登場します。 1765年(明和2年)、浮世絵中興の祖、鈴木春信(すずきはるのぶ、1725-1770年)によって、本格的な多色摺版画が完成され、特に「錦絵」と呼ばれます。今日「浮世絵」といった場合に、一般的に多くの方がイメージされるのは、この「錦絵」です。知名度の高い、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重の版画はこの「錦絵」です。 美人画の流れとしては、17世紀中頃寛文年間の前後に一人形式の美人画が上方を中心に流行りますが、軸仕立てとなるこの美人画の表現スタイルは、後の肉筆浮世絵のスタイルに影響を及ぼしたと考えられます。 江戸時代、その前半期は江戸はまだ発展途上で、文化的

ミュシャ展_国立新美術館(2017)

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「ミュシャ展」が国立新美術館で開催されています。 Θ会期:2017年3月8日---6月5日 Θ会場:国立新美術館 企画展示室2E (東京/六本木) 今回の注目展示は1911年~1926年にかけて制作された「スラヴ叙事詩」全20点で、縦6×横8メートルもの作品群のチェコ国外での全品展示は世界初で、おそらく今後再び日本でこの規模の展示は実現困難であろうと思われます。 今回の展覧は「チェコ文化年2017」のイベントの一つとして企画されたもので、「スラヴ叙事詩」の他、パリ時代のポスター作品など80余点が展覧されていますが、開催は東京のみで他都市への巡回はありませんので、ご覧になりたい方は、いざ六本木へ。 1911年 ©GHMP 1916年 ©GHMP 国立新美術館の壁面を天井近くまで占有する「スラブ叙事詩」作品群は壮観ですが、それはただ単に大きいということではなく、ミュシャの技量のなせる業に他ありませんが、画面の前に立つと人物のサイズが等身大に近く、その大きな画面に包み込まれるような状態で、まさに場面のバーチャル体験的な風情になります。20世紀初頭のヨーロッパ、とりわけミュシャの故郷の社会情勢を想起させる作品です。 絵画の材料技法的にみれば、オイルテンペラ&キャンバスです。 さて、展示作業もさぞかし大変であったろうことは想像に難くありませんが、その展示の様子がタイムラプススタイルで公開されています。 ========== 当ブログ内のミュシャ関係記事 Θアルフォンス・ミュシャ http://artviletblog.blogspot.jp/2014/03/blog-post_2.html Θ知られざるミュシャ展 http://artviletblog.blogspot.jp/2014/03/blog-post.html ==========

ナビ派_『オルセーのナビ派展・・・』

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『オルセーのナビ派展;美の預言者たち―ささやきとざわめき』が開催されます。 Θ2017年2月14(土)---5月21日(日) Θ三菱一号美術館 東京都千代田区丸の内2-6-2   http://mimt.jp/nabis/  © RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski フランスの絵画派の「ナビ派」というのは日本ではなじみが薄いものです。中学・高校などの美術教科書にも出ていないようだし、そもそもナビ派をテーマにした展覧会が日本で開かれてこなかったし、ナビ派の活動期間が10年ほどであったということもあって、なじみが薄いのです。 1800年代後半、当時の美術文化の中心地であったフランスで、印象派画家達が現れます。アバウトな時代感覚でいえば明治維新の頃です。 印象派と言っても画家それぞれで観れば表現のアプローチは様々ですが、一般的には便宜的に、外光派と呼ばれる初期印象派、点描派と呼ばれる新印象派、そして後期印象派に振り分けられます。 1888年、学生だったポール・セリュジェ(1864-1927)がブルターニュのポン=タヴァンに滞在していた後期印象派のポール・ゴーギャン(1848—1903)のもとへ訪れますが、ゴーギャンはセリュジェに大胆に単純化させた絵を描かせます。パリにもどったセリュジェの作品「タリスマン(護符)」に接して刺激を受けた学友達の間で新しい美学風潮が生まれ、「ナビ」というグループが作られて絵画活動が始められます。これが「ナビ派」です。 輝かしいい後期印象派の成果は、19世紀末の10年ほどの間のナビ派によって受け継がれたのです。 ナビ派の画家たちは、どちらかと言えば裕福な上流階級の子供たちであったので、職業としての作家活動というよりも趣味的傾向が強いおしゃれな生活スタイルに近い作風と言えるかも知れません。 19世紀末、ヨーロッパは決して印象派一色であったわけではありません。黒田清輝によって日本にもたらされた旧体質で印象派に影響を受けたサロン系画壇、新理想主義系の装飾画家ピュヴィス・ド・ジャヴァンヌ、また幻想的な色彩のギュスターヴ・モロー、文学的な神秘画のナディロン・ルドン、印象派系ながら商業美術の基盤を築いたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックなどなど多彩

NEW YEAR 2017

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