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人物画と肖像画

2013年NHKの趣味Do楽「城戸真亜子の油絵って楽しい!」もシリーズ8回が終わって、次回7月29日は第9回総集編となります。短い放送時間ですが、様々なモチーフへのアプローチの雰囲気をつかむことが出来得るというのは映像ならではで、そこらあたりをポイントに総集編をご覧になられたらと思います。 第6回の『ポートレイト(肖像画)で遊ぼう』の中で、ポートレートはモデルさんと似てなくても良いんです、という話があって、それも確かに一理あるのですが、『人物画』は似てなくてもよいけれど『肖像画』は似ていないといけないのです。 私はあるブロンズ像のことを思い出しました。 私が昔勤めていた会社では様々な事業を展開していて、中核事業ではないサブ事業のひとつにブロンズ像の製作というものがありました。全国の画材額縁店さんを代理店としてブロンズ像の製作を一式請け負うのですが、サブ事業の多くは私のマーケティング・企画部門が担当となっていて、ご注文は中核事業の営業部門経由なのですが、この事業も実務処理は私のところが担当でした。手順は、写真(できるだけ多くのもの)をご提供頂き、それを元に粘土で原型像を制作し、その原型像をご依頼者の方に実地ご確認頂いてのち、ブロンズ鋳造し、ご指定場所にお届けする、というものです。 関西の方から、神主さんが急逝して関係者で顕彰碑としてのブロンズ像を建てようということになった、というお話があって、最終的に胸像をお造りすることになりました。 粘土原型像が出来上がって、遠路ながら富山の原型師さんの工房で原型像実地確認という段取りとなり、ご依頼者の代表として男性2名、女性1名の3名がお越しになって、工房にご案内しました。天井の高い閑静な工房の一画に粘土原型像がひっそりと置かれていたのですが、原型像と対面するや女性の方が「先生がいる」と泣き始めてしまいました。男性の方々も近くに寄ってしばし言葉なしの状態でした。ご提供いただいた写真はいろいろな表情が写っていましたが、写真でしか知らない私の印象は、これがご本人なら写真を取ると確かにご提供の写真のいろいろな表情になりそうだ、というものでした。修正が必要な場合この場で修正を行うのですが、女性の方が迷いながらも「もう少しほほがふっくらしてたかな」とお話になって、少し間をおいておもむろに原型師さんが粘土を小豆ほどの大きさに丸め、ほほにあてて

江戸のガーデニング

花の開花を楽しむ、例えば、「・・・花博」とか「・・・花園」に出かけるというのが現代ではポピュラーなレジャーという感じで、ガーデニングも人気があるようですが、150年前の江戸でも似たような状況だったらしく、その様子が版画などに残っています。江戸時代後期の園芸レベルは世界的にもなかなかのものだったようで、イギリスのロバート・フォーチュンの本に、その頃の江戸の様子が記述されています。 こうした江戸の園芸にスポットをあてた展覧会「花開く江戸の園芸」が江戸東京博物館で始まります。 会期:2013年7月30日---9月1日    http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/2013/07/index.html ※江戸東京博物館は、2013年3月28日で開館20周年で、それを記念して『「花開く 江戸の園芸」展では、会期中、年齢を証明できるものをご提示いただいた20歳の方(1992年7月1日~1994年4月1日生まれの方)は、20円で「花開く 江戸の園芸」展と常設展の両方をご覧いただけます。20歳の記念に江戸東京博物館をまるごとお楽しみください! 』ということだそうです。 ロバート・フォーチュンはイギリスの植物学者で、プラントハンターとして、政府の仕事で中国から植物をヨーロッパにもたらし、また、東インド会社の仕事では中国の茶樹をインドへ移入し、インドの茶産業に寄与した人です。 海外の資源・産物を積極的に自国に取り込んで行くという姿勢は、さすがヨーロッパ列強国という感じです。 フォーチュンは横浜開港の翌年の1860年10月~12月と1861年4月~8月の2回来日し、主に関東地域の農作物・草花・樹・物産について調べ、様々な植物を買い入れて本国に送っています。1863年に旅行記「YEDO AND PEKING. A NARRATIVE OF A JOURNEY TO THE CAPITALS Of JAPAN AND CHINA. 」を出版しています。全402ページの内、日本関連は304ページまで。(※原文では、横浜=Yokuhama 江戸=Yedo) ・・・・・・・・・・ 旅行記の記事ピックアップをしてみます。 ◎『驚くべきことに、江戸の郊外には、植物を販売用に栽培している農園(植木屋)がいくつもある。江戸の良識ある人々は、

鉛筆のある風景_養命酒とマルカン酢

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写真の鉛筆は昭和35年前後のものと思いますが、商品を買ったときにおまけで付いてくる、今流に言うとノベルティグッズです。 筆記具ノベルティーなら、今の時代だとカラフルなボールペンというあたりに落ち着きそうですが、こうしてみると当時は、鉛筆が一般筆記用具としてのトップの座を担っていたということを改めて思います。 テレビはオール生放送で、昭和36年(1961年)にはNHKの「夢で逢いましょう」という番組で坂本九の『上を向いて歩こう』が初登場した、という時代です。「ボールペン」というものが世の中に出始めた頃です。 手前の鉛筆は養命酒製造株式会社のもので、「養命酒飲んで輝く不老長寿 養命酒製造株式会社」と印字されてます。コマーシャルは概ね時代のキーワードに呼応した内容になるので、『不老長寿』という言葉は、なんとも神秘的な言い回しです。この会社の最近のTVコマーシャルを改めてざっと見てみると、キーワードは「疲れ」・「体調不良」といったもののようで、コマーシャルは健康指向型になっていて、時代の移り変わりを感じます。 養命酒は400年の歴史があるそうで、その歴史の中でどのように時代に呼応して来たのか興味が湧くところです。 http://www.yomeishu.co.jp/health/beginning/index.html   奥の鉛筆はマルカン酢のもので、「丸勘印、マルカン酢の文字、その下側には瓶の絵柄」が印字されていて、反対側面(写真なし)には、「リンゴ酢・サラダ油・ぽん酢」とあります。鉛筆軸は六角形ではなく丸形です。「丸勘印」というのは、江戸時代の当主であった酢屋勘三郎の「勘」を崩した丸印で、今でいうブランドマークです。酢屋勘三郎は他の酢屋との差別化のために自分の店の樽にこの丸勘印を付けたところ、他の店も真似をして同じ丸勘印を付けたそうで、なんとも江戸時代らしい無法な話です。 マルカン酢は360年の歴史があるそうです。 http://www.marukan.com/history/index.html