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『京都国際現代芸術祭2015』

今年2014年に日本で開催されたトリエンナーレは3つあって、そのうちの老舗の「ヨコハマトリエンナーレ2014」の来場者数は延べ約21万4000人という発表でした。過去の数字を見ると次のような状況です。(主催者発表値) ・2001年第1回:総入場者数35万人、有料入場者数15万人、チケット販売数17万枚 ・2005年第2回:総入場者数19万人、有料入場者数16万人、チケット販売数12万枚 ・2008年第3回:総入場者数55万人、有料入場者数31万人、チケット販売数9万枚 ・2011年第4回:総入場者数33万人、有料入場者数30万人、チケット販売数17万枚 動員数が多くても中身がないものもあるので数値がすべてではないものの、集計方法がハッキリしないとはいえ、今年の21万人というのはどうもかなり低調な印象です。 来年2015年、「京都国際現代芸術祭2015」が開催されます。2015年3月7日(土)---5月10日(日)、主会場:京都市美術館、京都府京都文化博物館。 京都で開催される初めての大規模な現代芸術の国際展ですが、文化集積都市京都から文化創造都市京都への布石となるのか、トリエンナーレ離れの昨今、気になるところです。 公式HP⇒  http://www.parasophia.jp/

トレド&スペインの文化

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エルグレコ400年祭の『エルグレコ2014』がスペインのトレドを中心に今年2014年1月にスタートして、多彩なプログラムが繰り広げられ、11月現在も進行中ですが、これは日本で見られるような単なるグレコ作品の大規模な絵画展覧会というものではなく、グレコ作品をはぐくんだトレドの歴史や文化、そしてそこから続く現代のトレド文化という視点のなかで、グレコの仕事にスポットが当てられていて、絵画に留まらす音楽や舞台、工芸、学術研究など多彩なプログラムで構成され、グレコ作品の修復のみならずトレド大聖堂聖具室の改修なども行われるという大規模なものです。 トレドの歴史は古く、旧市街地の地下にはローマ時代はもとより青銅器時代の遺跡があって、レストランの地下の壁が遺跡の壁ということもあるほどで、ユダヤ教、回教、キリスト教の文化が共存してきた歴史の中で、伝統を守りながら独自の文化が創られて来たと言えそうです。 グレコの仕事が収められている教会の建物やその祭壇、あるいは同時代の優れた職人達の仕事、グレコの時代の文化遺産など、トレドの文化や歴史を知ることは、グレコ作品の理解の幅を広げます。 トレドの文化風土から持ち出され、例えば日本のグレコ展に展示されるその作品は、それはそれで素晴らしいのですけれど、例えば、先頃日本で公開された「無原罪のお宿り」は、見上げるほどに大きくて、そのユラユラと縦長に引きのばされた描写はルネサンス絵画に見られる誇張表現のようにも言われますが、炎を高貴なものとしてとらえる当時の宗教観の中で、ろうそくの炎のように揺らぎながら天空へ伸びる様は、高くそびえる教会建築の中にあってこそふさわしく、見上げるほどに大きいのではなくて、見上げるほどに天空へ伸びて尊いのです。 生の文化風土を体感することは、バーチャル的な下手な美術論や技術論に勝ります。 ということで、今回はトレドとスペインの文化のご紹介です。 =/= 「トレドは素晴らしい」(2分40秒)トレド観光局 =/= =/= 「トレドへの鍵」(12分46秒)カスティーリャ・ラ・マンチャ州大学財団 =/= =/= 「スペインの文化_タイムラプス」(4分28秒)by スペイン =/= 「バスでトレド観光」(2分50秒)トレド観光局 「トレドのゴールド」(3分6秒)トレド観光局

GENERAL FARM'S CAFE<>FOOD MARKET(岡山)OPEN

岡山駅地下一番街のキッチンランナウェイ内に『GENERAL FARM'S CAFE<>FOOD MARKET』が11月19日(2014)にオープンしました。地下街中央直ぐの一画を占める広くゆったりとした空間で、岡山瀬戸内エリアの食材を生かした食事やスイーツ、さらに地ビールもあって、気軽に立ち寄れるスペースになっています。 私どもの額装工房では、店内ポスターフレームの一部を製作させていただきました。 岡山市駅前では来たる12月5日に西日本最大規模のイオンモールがオープンを控えており、イオンモールと直結となる駅地下街は店舗のリニューアルが進められていて、フードエリアは秋口以降一新されました。イオン周辺では、道路の整備やら交通緩和のための標識変更やらがやっと一段落したところですが、イオン前の道路に広めの自転車専用道が整備されたので、自転車派にとっては走りやすくなりました。 ⇒ 岡山一番街キッチンランナウェイ ⇒ イオンモール岡山

ELGRECO2014 エルグレコ400年祭 

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スペインの画家エル・グレコ(1541年~1614年)が亡くなって今年で400年。スペインのトレドではエル・グレコ400年祭の《ELGRECO2014》が開催されています。 日本ではこれに先立ち、2012~2013年に「エル・グレコ展」(国立国際美術館並びに東京都美術館)が日本過去最大規模で開催され、晩年の作品と言われるサンタ・クルス美術館蔵『無原罪のお宿り』(初来日)を始め、ティッセン=ボルネミッサ美術館蔵『受胎告知』ほか50余点が展覧されました。 エル・グレコ財団によると日本にあるエル・グレコ作品はわずか2点で、『十字架のキリスト』(国立西洋美術館)と『受胎告知』(大原美術館)です。『十字架のキリスト』の直近での公開は《2014年7月8日~9月15日 橋本コレクション_指輪_神々の時代から現代まで_時を超える輝き 》でしたが、西洋美術館の評価ではエル・グレコの100%直筆ではなく工房作品とされていますので、日本にあるグレコ作品と言えるのは『受胎告知』の一点のみとなってしまいます。大原美術館では常設展示されています。 スペインは古くは古代ローマ帝国の勢力下にありましたが、6世紀頃には西ゴート族に支配され、8世紀初めにはアラブから侵入してきた回教国のウマイヤ朝に征服されます。11世紀にキリスト教国が領土を奪還し、結果的に回教文化とキリスト教文化が混在する土壌が育ちます。キリスト教寺院でありながら回教寺院の様式を残しているムデハル様式と呼ばれる建造物が見られるのはこのためです。15世紀以降、王国統一に伴いキリスト教主導となってゆきますが、エル・グレコが活躍したのはこうした時代のスペインのトレドです。 先頃日本公開された『無原罪のお宿り』は本来は教会内部の祭壇に設置されている宗教画です。これを展覧会で公開しようとすると祭壇ごともってくるわけにはいかないので、そこからはずして何らかの額縁を付けて展示されます。細い額縁を付けても展覧会場で見ると縦347×横173cm(作品のみ)というサイズは見上げる程に大きな作品ですが、この作品が現在収蔵されているサンタ・クルス美術館のその高いドーム天井の空間の中では決して大きいという訳でもなく、作品が生まれた文化風土の中で見ると感じ方も異なることがあります。 トレド大聖堂はトレド大司教座がおかれるスペインカトリックの総本山で、その内部装飾は

鳥獣人物戯画_2014京都国立博物館

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「鳥獣人物戯画」(国宝、高山寺蔵)全4巻の公開が始まりました。京都国立博物館_明治古都館(本館)、2014年10月7日~11月24日(休館:月曜日)。 最近の日本の小学校の教科書にこの「鳥獣戯画」の図版が掲載されているのかどうか知りませんが、私が初めてこの図版を知ったのは50数年前の小学校の教科書で、甲巻の蛙と兎の相撲の場面でしたが、子供ながらにその軽快巧みな描写に感心したものでした。とは言え、それが絵巻物というイメージは全くなくて、先生は教えてくれたのかも知れませんが、そのようなものはイメージすら出来るわけがありません。 実物を見たのはそれから40数年後の2007年、東京六本木ミッドタウンのサントリー美術館・開館記念特別展『鳥獣戯画がやってきた』でした。全4巻を中心に国内外に分蔵される断簡、模写を広く集めて「鳥獣戯画」の全容を展覧しつつその謎にスポットをあてたものでしたが、ことのほか盛況で、18時頃入館したものの観覧の列はなかなか進まず全部見終わったのは閉館ぎりぎりの20時前という有様でした。それでもこの企画展は良い展覧でした。 実物は、印刷物などの濃度の濃い黒一色感とは異なって、思いのほか描線の色が淡く濃淡があったこと、そしてまた、全巻を通して場面によって筆達の技巧度にムラがあること、また全4巻とした時の全体のまとまりに欠けるということ、というのが「鳥獣戯画」の門外漢の素朴な印象でした。いつも思うことながら、情報媒体を通して知識として知ることと、実際に自分の目で実物を見て実感することとでは大きな隔たりがあるということ、を改めて痛感しました。 呼び名は、『鳥獣戯画』とか『鳥獣人物戯画』とか『鳥獣人物戯画絵巻』とかと色々で、国宝指定文化財としての名称は『紙本墨画鳥獣人物戯画』(指定年月日は1952年3月29日)ですが、私などは『鳥獣戯画』が一番しっくりという感じです。 謎の多いこの絵巻ですが、今回の展覧は4年がかりの修復後初の展覧で、修復時の新発見も紹介されています。頻繁に公開されるものではないので、この機会に是非お出かけ下さい。期間中展示替えがありますので、博物館サイトでご確認下さい。⇒ 出品一覧・展示替予定表

ルネサンスの胎動_《フィレンチェの富と美》

来年2015年3月に《ボッティチェッリとルネサンス---フィレンチェの富と美---》が開催されますが、ボッティチェッリ作品を中心に当時活躍した作家の絵画・彫刻・版画や資料などが展覧され、ボッティチェッリ作品は「受胎告知」・「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」(日本初公開)など10点程が来日予定と発表されています。2015年3月21日~6月28日、bunnakmuraミュージアム。 本年2014年10月11日から開催される「ウフィツィ美術館展」(東京都美術館)に続き、ルネサンスの作品を堪能できそうです。 この展覧会は、2011~2012年にイタリアで開催された「 Money and Beauty 」をベースに再構成されるようなので、ルネサンスの原動力の経済的な背景にスポットを当てた展覧会になりそうです。 ルネサンスの幕開けは15世紀末で、西洋中世期の後期にあたります。 この西洋中世期は1000年に及ぶ長い時代でその変遷は多様ですが、極めて端的な言い方をすれば、領主とキリスト教教会を頂点としてその下に農民や商工業者がいるという封建的階級社会です。現在の西ヨーロッパ地域にあった当時の国の多くは封建制の農業国でした。一方、イタリアはアルプス北方の様々な民族国家の侵略を受け支配されますが、その支配者も戦乱の中で度々交代し長続きせず、それぞれの地域が群雄割拠の状態で、西ヨーロッパに比べ緩やかな封建社会であったと言えます。 11世紀から始まった十字軍の遠征によって結果的に交易路が発達し、また東方の文化に触れた農業国の封建領主たちは東方の高価な宝石、絹、象牙、香料などを買い集めるようになります。 東方との交易が促進されることによって、イタリアの海港都市のピサ、ヴェネチア、ジェノヴァ、ナポリなどは地中海貿易で栄えます。一方、内陸部にあったフィレンチェは交易都市として発達するとともに、さらに単なる交易に留まらず毛織物や皮工芸品などの加工製造業が盛んになります。アルノ川の岸にあって、もともと農産物の集積地として恵まれていたため、地理的に羊毛や皮革が入手しやすい立地にあり、また河川を利用した水車動力による大量生産が可能で、毛織物や皮工芸品を西ヨーロッパや東方諸国に輸出するようになり、また同時に金融業が盛んとなって、繁栄の道を歩みます。 当時最も目覚ましい繁栄を遂げた都市がフィレンチェです。 中世中期

アール・デコ_東京都庭園美術館リニューアルオープン

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東京都庭園美術館が2014年11月22日、リニューアルオープンします。フランスのアール・デコ様式を取り入れた旧朝香宮邸の1933年創建当時に近いスタイルに改修され、また別棟で展示空間も新設されました。アール・デコに興味のある方はお出かけ下さい。 http://www.teien-art-museum.ne.jp/ ヨーロッパでの産業革命以降の近代化は、社会構造や生活様式に大きな変動をもたらし、近代工業の成果である鉄・コンクリート・ガラスの技術が取り入れられて、伝統的構造物から脱却した新しい構造物が造られるようになります。 無機質な近代化への反動的とも言える自然主義的趣向やジャポニズム的な流行、また市民革命以降の浪漫主義的趣向を背景に、19世紀末~1910年頃、自然の植物の流動を基本的なモチーフとし、機能や合理性を必然としない幻想美的な建築・工芸趣向が流行ります。これがフランスの「アール・ヌーヴォー」です。この流れは、他のヨーロッパの国々で同時進行的に起こり、それぞれのお国柄を反映しながら発展し呼び名も国によって様々です。 「アール・ヌーヴォー」は比較的短命に終わります。それ以前の伝統的様式に対しては新たなアプローチではあっても、構造上の必然から生まれた形状ではないため機能性という切り口では劣ります。近代化の中で、それに対応した機能的な建造物への要求が強くなってゆきます。「アール・ヌーヴォー」の様な一品モノ的な形状ではなく、工業化が容易な形状が求められ、また装飾柄もパターン化の容易な幾何学文様などが重宝されるようになります。この趣向が「アール・デコ」で、年代的には1925年頃~です。 さらに時代が進むと、「意匠よりも構造」・「装飾よりも機能」が優先される方向がより強くなってゆき、「アール・ヌーヴォー」や「アール・デコ」は退廃的装飾趣味と見られるようになります。 退廃的なのか優美なのか、時代が異なれば評価も異なります。

円城寺天井画復元完成

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岡山県北に位置する円城寺の本堂外陣天井画の復元が完成し、落慶法要が行われます。これにあわせ、内陣の江戸末期に描かれた天井画も公開されます。  *2014年10月13日(月)10:00~  *岡山県加賀郡吉備中央町円城742 TEL:0867-34-0004    *アクセス  http://www.enjouji.net/access.html 開山1300年記念事業のひとつとして、痛みが激しかった外陣の天井画161枚が模写復元されました。 復元された天井画は設置に先立ち、昨年の2013年12月10日-15日の期間、岡山県天神山文化プラザにて展示されました。   http://www.enjouji.net/2013tenjogaten.html   

テンペラ画_「ウフィツィ美術館展」

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《ウフィツィ美術館展―黄金のルネサンス ボッティチェッリからブロンヅィーノまで―》が開催されます。2014年10月11日(土)~12月14日(日)、東京都美術館。卓越した本物のテンペラ画、フレスコ画を見る絶好の機会です。 イタリア・ルネサンスの中心地フィレンチェで活躍したサンドロ・ボッティチェッリの初期から晩年の数々の作品、ブロンヅィーノやアンドレア・デル・サルトなどの作品80点余の展覧です。ボッティチェッリの主要展覧作品:「パラスとケンタウロス」(1480-85年 テンペラ、カンヴァス)、*「聖母子」(1465年頃 テンペラ、板)、*「海の聖母」(1475-80年 テンペラ、板)、*「東方三博士の礼拝」(1490-1500年 テンペラ、板)、*「聖母子と幼児聖ヨハネ」(1495-1500年 テンペラ、カンヴァス)。 「テンペラ」という言葉は一般的にはなじみが薄いようで、どんなものなのかとよくご質問を受けますが、材料やら技法やらをお話しても、なるほどとご納得いただくのはなかなかと難しい。絵画技法の違いというのはテンペラに限らず一般的にはわかりづらいものです。 ある展覧会を見ている時、年配の方が会場スタッフに『油絵と日本画とはどう違うんですか』と質問をされていて、表現テイストが近似しているものもあるので、なるほどこれはごもっともな疑問だと思いながら聞いていると、『布に描くのが油絵で、紙に描くのが日本画です』というスタッフの回答に、質問された方は至極納得されたご様子で、答えの是非はともかくとして、一般的なイメージというのはそういうものなのかも知れない、と私は感心してしまいました。 テンペラ画とはどんなものか知ろうとすれば、本物のテンペラ画を見ることに勝るものはありません。 テンペラの材料を使って描けばテンペラ画なのかというと、いやいやこれは世界の違う話なのです。 作家の名前やテンペラという言葉は知らなくてもこの絵はご覧になったことがあるのではないかと思います。 Sandro Botticelli - La nascita di Venere - Google Art Project 「ヴィーナスの誕生」というテンペラ画作品です。美術の教科書などでは小さく掲載されますが、現物は横が3m近い大画面で、この作品を描いた画家が今回の「ウフィツィ美術館展」で様々な作品が展覧される

スペインのタイル

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今回の額装ピックアップはスペイン旅行お土産のタイルの額装です。タイルをそれぞれ組み合わせ、額縁毎に装飾柄部分の見え方に差が出ないように位置を調整。このタイルは艶やかな質感があって良い感じです。

イコン画

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「イコン画」を額装しました。イコン画の額装ご依頼は種々ありますが、掛ける場所、図柄によってご注文者のご要望は様々。今回は控えめな色味ということで、掛ける場所のスペースを考慮して、植物装飾のボリューム感のある額装となりました。ビザンチン美術の中で発展した「イコン」なので、その源流ギリシャで好まれた植物装飾は伝統的な趣です。描画は主にエッグテンペラ。

緑_自然の景観

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オフィス開設のお祝い用にナチュラル系の物、というご注文に沿って、今回は小振りなグリーンボックス(壁面用)をお納めしました。350X350X70(奥行)mm程のボリュームで、開放型アクリルカバー付き。 植物の木々の景観がなんとなく心地よい、というのは大方の共通の感覚らしく、その安らぎ・癒し効果は様々な研究やら実験でも確かめられているようです。 有名なものでは、テキサスA&M大学の教授ロジャー・アルリッチの術後の患者の回復の度合いと窓から見える景色の関係を検証した研究があり、サイエンスに発表されました。胆のうの摘出手術をした患者を対象に、手術後の病室のベッドで寝たまま、他のいろいろな条件がほぼ一緒で、窓の外に見える景色が樹木景観の患者と、レンガ外壁景観の患者のカルテを23対、46名を抽出比較しています。結論のみを搔い摘んで言うと、レンガ景観の患者に比べ樹木景観の患者は、約1日早く退院し、ナース評価でもマイナス評価が少なく、鎮痛剤は量・強度の面で少なく、外科的な合併症も低率であった、という結果となり、自然の景観による治癒効果が確認されました。この病院の外壁は単調で面白みのないレンガ壁であったようです。手術という激しいストレスを受けず日々刺激の少ない生活の慢性的患者にとっては、自然の景観より街中の景観の方が刺激的で健康的に思えるかも知れないものの、それでも検証の結果は、病院設計では窓からの景観の質を考慮しなければならないことが示唆されたとしています。 詳細をお読みになりたい方はこちらをご覧下さい。 ⇒  View through a Window May Influence Recovery from Surgery Roger S.Ulrich / Science,New Series,Volume224,Issue4647(Apr.27.1984),420-421 樹木などの植物の緑は、一口に緑とはいってもその色相の幅は広く、特に新緑の頃に見られる幾層もの緑、さらに光の当り具合で変わる色味、また形の豊かさは人智を超えており、単一ではないその造形の揺らぎは、脳には程良い刺激という気がします。 人間の眼は光に対しての明暗感(視感度)というものがあって、光の各波長エネルギーが等しくてもこれを等しい明るさに感じない。個人差や人種差があって一概には言えないものの一般的に、明るい場

黒&白 BLACK & WHITE

知り合いの写真家の個展オープニングに出かけました。冬のフランスシャンゼリゼ界隈のライカ散歩のモノクローム写真は、2週間程前に見せていただいたテストプリントと少し調子が異なっていて、直前まで試行錯誤された様で、私より年齢はずっと上ながら、そのこだわりは若々しい。 会場には20代~の若い方が多く、というか私が年寄りなのですが、話のなかで若い女性の方から「白黒写真」という言葉が出てきた。私などは昔から「黒白写真」という使い方だったので、「白黒」でも「黒白」でもどちらでもよくて、言葉使いがどうだということではなく、どうして「白黒」という順番になったのか不思議でした。いつもそういう使い方なのと尋ねてみると『そうです、モノクロと言うし』という意味合いのお答だった。 「モノクローム」という表現は写真分野で固有に使われる言葉ではなくて、広く美術の分野で、必ずしも黒ということではなく「単彩・単色」の意味合いで使われます。『モノクロ』はこの「モノクローム」の短縮造語と思います。 欧米での使われ方は「BLACK AND WHITE」と「黒」が先で、イギリスの歴史ある写真材料メーカーのILFORD社での表現も「BLACK & WHITE」であるし、日本の富士フィルムの表現も「黒白フィルム」だし、今やグローバルな国際化時代なので、世界を活動の視野に入れて世界標準の「黒白」と覚えておいた方が良さそうです。 日本でよく使われる「モノクロフィルム」という表現は欧米の人には通じづらく、「BLACK & WHITE FILM」と言えば通じます。同様に、「モノクロ写真」という表現も通じづらく、「Monochrome Photography」とか「BLACK & WHITE Photography」と言えば通じます。 さて、その若い女性の方が持参のカメラは、オリンパス「OM-1」で、レンズは見た感じ「ZUIKO 50㎜F1.4」でした。1973年発売のカメラで、この50㎜は小ぶりながらシャープで優秀なレンズで、反面シャープネス優先的で開放域での描写が硬いというのが私の印象です。これは当時の他のメーカーの同クラス50㎜も同様で、レンズ設計は時代背景に影響されるので、レンズの描写は時代を象徴していると言えそうですが、この頃日本は1964年の東京オリンピック後の高度経済成長期第二期の時代

19世紀の写真

東京都写真美術館が本年2014年9月24日から大規模改修工事のため1年程の休館に入ります。1995年1月の総合開館からはや20年近く経ってしまったのかと改めて思ってしまいました。1990年代当時の日本には植田正治写真美術館などの個人名美術館はあったものの、写真美術館という総合的な美術館はなく、写真部門を持つ美術館として、川崎ミュージアム、横浜美術館があったくらいだったと思います。一次開館は1990年で現在とは異なる場所で、駅からの道すがら辺りは閑散としてあまりひと気がなく、建物は平屋で長細く、記憶がはっきりしませんが「写真美術館準備室」という看板もあった様に思いますが、日本にもやっと写真美術館ができる時代になったかと思ったものでした。 1949年にジョージ・イーストマンハウス国際写真美術館(米国ニューヨーク州)が開館していて、欧米諸国では1980年代までには種々の写真美術館が開館しています。写真の誕生はフランスのダゲールがダゲレオタイプを発表した1839年で、以降欧米では写真は芸術の一分野としての地位を確立して行きますが、日本は遅れること4~50年といったところでしょうか。 写真が誕生した1840年代から1900年にかけて様々な印画方式が開発されていていますが、世界各地の美術館・博物館に収集収蔵されている当時の作品の印画方式は大部分がアルビューメンプリント(鶏卵紙)で、塩化銀紙を含めると80%近くになると言われます。1871年にマドックによって今日の感光材のベースとなるゼラチン乳剤が発明されたあとも、バライタ印画紙が実用化される1900年以前までアルビューメンプリントは使用され続け、アルビューメンプリント用の感光材料商品が姿を消したのが1920年代です。卵白を水で希釈する割合で光沢、階調、最高濃度が調整でき、当時の商業写真を含めファインアート作品に広く見受けられます。日本人では1863年に日本での最初の写真師の一人である下岡蓮杖がアメリカ人とイギリス人から鶏卵紙の製法を学んでいるようです。東京都写真美術館では本年2014年3月4日~5月6日「没後百年 日本写真の開拓者 下岡蓮杖」企画展がありました。 写真が登場して急速に需要が拡大した肖像写真は、光とか陰影とか含めその表現のアプローチが肖像絵画的であることを見れば、当時の写真が絵画に劣らないように微細な階調に注意を向

アートデコレーション ARTDECORATION

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日本料理店の新装に合わせて、室内コーディネート用に壁面を飾るフレームボックスをご提供しました。横幅90cm、奥行きが10cm程で、フレーム側面シルバー、表面カバーは透明アクリル仕様です。 こうしたグリーンの木々やあるいは布、和紙、木、石などの素材で空間を彩どるのは、自然系素材のBGM的な印象です。小ぶりなアイテムなら家庭用でも使えます。 自然の造形は人智をはるかに超えているので、その造形の意外性やら多様性、色の豊かさ、香り、空間の広がりやらが人間にとって程良い刺激になって、心地よさを感じるのかも知れません。そんな、自然の造形の一端をフレームボックススタイルで壁面や空間の装飾に取り入れてみると、なかなかと楽しめます。

金属類の錆対策

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金属錆や紙類などの変質には様々な要因が関与していますが、空気中の公害ガスによる化学反応はその要因のひとつです。化学反応のスピードは温度の上昇によって促進されますし、公害物質は気象上世界規模で影響が出るので、その対策となると対処療法ということになってなかなか厄介です。 紙作品などの額装でNOxなどの公害ガス対策が必要な場合には、ガスの吸着能力のある台紙が選択されます。多孔質な素材なので、理論的には飽和や吸着した物質の再放出がありません。 フィルム状のものまた袋状のものとなると『コロージョンインターセプトフィルムや保存袋』があります。 CORROSION INTERCEPT BAG 4X6" インターセプトテクノロジーは,米国東海岸ニューヨークの「自由の女神像」修復保全プロジェクトで始まり、ルーセント・テクノロジーのベル研究所で開発された革新的特許技術で、銅、銀、真鍮、ブロンズ、錫、鉛、マグネシウム、鉄、非鉄金属の錆を防いで保護します。金属の他にも、CDや紙焼き写真、フィルム、布、絵画、書籍や紙を基底材とする芸術作品の保護にも有効です。 比較的新しい技術が使われた保存用品で、米国国立公文書館、英国王立造幣局、ニューヨークグッケンハイム美術館、英国のシェフィールド博物館、NASAなどで採用されています。 半導体技術によって高反応性の銅粒子をポリエチレンフィルムのポリマー配列内に結合させたこの素材は、その表面に触れる、又はその内部を通過しようとするあらゆる腐食性ガス(硫化水素、亜硫酸ガス、塩素水素など)や真菌、バクテリアなどに反応して、それを中和します。ガルバニ腐食(異種金属・合金の接触による腐食)にも有効です。 安定性の高い素材で、有害ガスを発生せず、水分や湿度、温度によって変質することがありません。また、飽和状態になると黒く変色し、取替時期を示します。1ミル(1000分の1インチ=約0.0254mm)厚で、およそ10年間効果を維持します。PAT合格。 錆の発生には様々な要因が関与しているので防錆は容易ではありませんが、インターセプトテクノロジーはより有効な選択肢のひとつと言えそうです。

印象派の時代の写真

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第1回印象派展(1874年)は、旧態然としたサロン画壇に満足しない画家達が独自に開いた展覧会で、この時の正式な展覧会の名前は「画家、彫刻家、版画家の匿名作家協会展覧会」でした。「印象派」という呼称は、美術記者の批評からでてきた嘲笑的な表現でしたが、第3回展からその表現が採用され「印象派展」となります。 フランスのキャプシーノ大通り35番地、そこにあるナダール写真スタジオの2階、ここが第1回展の会場でした。 写真は記録や肖像写真の分野でその領域を拡大しつつあった当時の先端テクノロジーで、ある意味画家達の職域を多かれ少なかれ侵食していたわけで、印象派も新興勢力という意味では共通項はあるものの、何とも微妙な感じです。 当時の写真はどんなものだったか、現存オリジナルを見ないと実体はハッキリしませんが、いろいろなデータからそのレベルを伺うことができます。 印象派展の1874年という年代がピンと来ないという方は、日本で比較的よく知られている坂本龍馬の写真が1866~67年頃長崎で撮られたものとされているので、これを年代基準にしておいていただくとよいかと思います。 フランスのナダール写真スタジオのナダールは、当時のフランスでは名の知れた写真家で、多くの文化人、軍人、女優、画家などの肖像を撮影しています。日本との関わりで見れば、1862年の第1回遣欧使節団、1864年の第2回遣欧使節団の一行の写真もナダールによって撮られています。ナダールのフルネームは、ガスパール=フェリックス・トゥールナション(Gaspard-Felix Tournachon)、1820年生-1910年没。息子はポール・トゥールナションですが、ポール・ナダールと名乗っている場合があります ナダールの仕事を数枚ピックアップして、当時の写真の様子を見てみます。 ※掲載の写真はすべて収蔵美術館の著作権をクリアーしたものですが、当サイトからの写真並びに記述の転載は、ご遠慮下さい。 =/=/= Self-Portrait as an Aeronaut(ナダールのセルフポートレート)1863年 気球研究家でもあったナダールですが、乗っているカゴは少々窮屈そうながら、背景は海に見立てた背景画がセットされているようで、気球のプロモーション写真といったところでしょうか。写真が単に前に立った人を写すとい

文化創造の都市

文化の創造や発信が地域の人や生活を豊かにし、さらに世界に注目されることによって人や物の交流が世界規模で活発化するとすれば、文化創造の推進は豊かな地域環境創りということだけに留まらず、経済を牽引し都市の国際化につながる大きな経済効果を秘めていると言えます。 来る東京オリンピック開催に合わせ、東京の様々な文化をアピールしようとするプロジェクトがいろいろ検討させているようですが、世界的なイベントであるがゆえに、さまざまな波及効果が期待されます。 さて、カテゴリーを「文化芸術」としたとき、主要都市の行政の取組体制はどうなっているのか、重要なのは組織名ではなく実際の施策の中身なのですが、管轄部門名称は物事への取組の姿勢としての切り口なので、政令指定都市20市と東京都について見てみました。 札幌市:観光文化局>文化部 仙台市:市民局>文化スポーツ部>文化振興課 さいたま市:市民・スポーツ文化局>スポーツ文化部>文化振興課 千葉市:市民局>生活文化スポーツ部>文化振興課 横浜市:文化観光局> 川崎市:市民・こども局>市民文化室 相模原市:市民局>文化振興課 新潟市:文化スポーツ部>文化政策課 静岡市:生活文化局>文化スポーツ部>文化振興係 浜松市:市民部>文化生活課 名古屋市:市民経済局>文化観光部>文化振興室 京都市:文化市民局>文化芸術都市推進室>文化芸術企画課 大阪市:市民局> 堺市:文化観光局>文化部>文化課 神戸市:市民参画推進局>文化交流部 岡山市:市民局>文化振興課 広島市:市民局 北九州市:市民文化スポーツ局>文化振興課 福岡市:経済観光文化局>文化振興部>文化振興課 熊本市:観光文化交流局>文化振興課 東京都:生活文化局>文化振興部 あくまでも、「名称のみから受ける印象」という前提で話を進めます。 ・京都市の「文化芸術都市推進室」という切り口は、『PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015』を計画している京都らしい先端的な切り口です。景観資産豊富な京都ですが、『PARASOPHIA』という言葉には京都は消費の都市ではなく知や文化の創造の場でありその装置なのだ、という思いがこめられているそうです。 ・東京都は「生活文化局>文化振興部」とありふれていますが、東京文化発信のプロジェクトは、能動的多角的実質的に高いレベルで進んでいます。 ・「観光・文化」という切り

ヨコハマトリエンナーレ2014_2014/8/1>11/3

「ヨコハマトリエンナーレ2014」が開催されます。 日程:2014年8月1日>>>11月3日; 主会場:横浜美術館、新港ピア http://www.yokohamatriennale.jp/2014/index.html ヨコハマトリエンナーレは2001年に始まった現代アートの国際展で、今回で5回目を迎えます。 過去4回の入場者数とチケット販売数を見てみると次の通りです。(主催者発表データより、*入場者数は延べ人数) ・2001年第1回:総入場者数35万人、有料入場者数15万人、チケット販売数17万枚 ・2005年第2回:総入場者数19万人、有料入場者数16万人、チケット販売数12万枚 ・2008年第3回:総入場者数55万人、有料入場者数31万人、チケット販売数9万枚 ・2011年第4回:総入場者数33万人、有料入場者数30万人、チケット販売数17万枚 この数字をどう見るかなかなか難しいところですが、「総じて動員数が少ない」という印象です。 第4回より主催の主軸が横浜市に移って横浜美術館が主会場のひとつになりましたが、運営組織が大きくなればなにかと調整が大変になるものの、都市の基幹美術館のあるべき姿です。第1回のときの会場は、パシフィコ横浜と赤レンガ倉庫でしたが、パシフィコ横浜は商業見本市会場の印象があって少なからず違和感がありましたが、天井が高いので、見上げるような巨大なオブジェを展示する作家さんを前提にすると、実際問題としてここしかありません。 「現代アート」という切り口は、今や万能薬のように狭義にも広義にも極めて便利に使われていて、そのしきい値が相対的で定まらない極めて緩慢な範疇で、近年は「現代アート」の名のもと、ビエンナーレ、トリエンナーレ流行りで、「現代アート」と言ってしまえばその質を問わず何でもかんでも通ってしまうようなところがあって、動員数が多く観光事業的には成功でも中身が希薄なものが少なくありません。また、全体的な傾向として教育プログラムとか連携プログラムが盛り沢山で、展示型から参加型イベントになっていて、これは盛り上げとか観客動員数を増やすという面では必要なことですが、大切なのは中核の中身です。 国際化が進めば進むほど都市固有の文化、継続的な創造力、発信力といった真の文化力が問われます。文化は美術に限定されず広範囲に及びます。時代

印象派の誕生_オルセー美術館展

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オルセー美術館展「印象派の誕生」がはじまります。 2014年7月9日-10月20日東京・六本木の国立新美術館 マネ、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌら印象派を牽引した画家たちの作品を始め同時代のコロー、ミレー、クールベ、カバネル、ブグローらの作品全84点が展覧されるということなので、同時期に開催されるジャポニスム展(2014年6月29日~世田谷美術館)と合わせて観覧すれば、19世紀のヨーロッパ、とりわけフランスを中心とした絵画の流れを比較しながら総覧できそうです。 第一回印象派展(1874年)にいたるまでのフランス美術の押さえどころ ###  ###  ### そもそも美術は社会を支配していた宮廷や教会を前提に存在していたので、そのあり方は必然的に宮廷絵画や権力者顕彰の歴史画、そしてまた神話世界の宗教画で、同時にそれらが絵画価値として最上位の位置にありました。18世紀後半のフランス革命、それに続く19世紀前半の市民革命という時代の変遷を経て、美術は宮廷や教会の束縛から解放され、次第に作家の視点で捕えられた対象を自由に表現するように発展して行きます。 18世紀後半のフランス革命以降、古代ギリシャローマ時代への回帰的風潮によって「古典主義」が台頭してきます。パリの数ある凱旋門はその時代の産物です。一方で、形式的で模倣的なその古典主義とは正反対に、民族精神の母胎とも言える中世宗教精神を新しい時代に理想化しようとする情熱的理想風潮の「浪漫主義」が現れてきます。中世以来の大寺院、例えばパリのノートルダム寺院の復旧や中世イメージの建物が造られました。産業革命による産業の隆盛で19世紀前半から中間裕福層が増え、この新興層が好んだものが肖像画と自宅の客間を飾る伝統的絵画で、19世紀中頃は依然として「古典主義」と「浪漫主義」が混在して幅を利かせていた時代です。###  ###  ### コローやミレーに代表されるハルビゾン派 産業革命による社会の目まぐるしい近代化、そして市民革命による自由平等思想という社会的な潮流の中で、都会の騒音を離れた自然風景やそこに暮らす人の情景そのものを絵画の対象としてありのままに描こうとする画家達が現れます。パリの郊外のハルビゾンを拠点にしたことから「ハルビゾン派」と呼ばれますが、社会の近代化の中で登場した新しい自然主義絵画で、例えば農民の生活を情緒深く描

うらやまはくすりばこ (by米本久美子)

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「うらやまはくすりばこ」米本久美子作(福音館書店 月刊科学絵本「かがくのとも」7月号、¥本体389+消費税)が6月に発刊となりました。春休みに田舎のおばあちゃんの家に遊びに行った子供が転んで足を擦りむいたのがきっかけで、おばあちゃんから自然に生えている植物の薬のことを聞くはなしです。薬について監修されている河邉誠一郎さん(倉敷芸術科学大学教授)のコメントによると、経験的に薬として用いられてきた自然界のものを「生薬」、550年以降中国から入ってきた「漢方」に対して日本古来のものを「和方(わほう)」と呼び、西洋文明傾倒の明治期以降「生薬」はマイナーな存在になったようです。 「生薬」は薬であると同時に日本人の食べ物でもあったわけですから日本の食物文化なのですが、とは言え、名前は聞いたことはあっても自然界に生えているものを特定するというのは難しい話なので、「うらやまはくすりばこ」を片手に薬用植物園巡りが良さそうです。 「月刊かがくのとも」を扱っている書店の案内 >>>  http://www.fukuinkan.co.jp/buy_selpref_show.php

山寺の天井画 永年寺

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岡山県北の美咲町東垪和(はが)にある永年寺本堂の天井画「美咲町四季草木花図(全64図)」、2011年6月落成で今年2014年6月で丸3年となります。時間を経てこうして天井画を拝観してみると、天井画はお寺にとっても地域の人々にとっても良い記念碑であるとともに、四季草木花は地域の自然が溢れるアートセラピーの趣があります。制作者は都会からの移住でこの地に住む画家の田中佳美さん。 人と人との関わりというものは不思議なもので、ご住職が岡山県津山市の葬祭場でハスの花を描いた田中さんの作品をご覧になったのがきっかけだったそうで、天井画スタートは5年前の2009年春、制作に2年を要しています。 耐候性を重視して色材は特殊な絵具類をご用意したので、その後の様子が気にはなっていたもののなかなか伺う時間もとれず、今回近くまで来たので事前の連絡もなしに突然お邪魔したのですが、ご住職の丁重なご対応に合掌。 永年寺:岡山県久米郡美咲町東垪和504 〒709-3416 TEL:0867-27-3511

ボストン美術館「華麗なるジャポニスム展」

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ボストン美術館--印象派を魅了した日本の美--「華麗なるジャポニスム展」が2014年6月28日から世田谷美術館(東京)で始まります。東京、京都、名古屋巡回です。 東京展 世田谷美術館(2014/6/28--9/15) 京都展 京都市立美術館(2014/9/30--11/30) 名古屋 名古屋ボストン美術館(2015/1/2--5/10) クロード・モネの「ラ・ジャポネーズ」(左写真)修復後世界発公開! 印象派に影響を与えた日本美術と印象派作品の対比展示! など見どころありそうです。 「ラ・ジャポネーズ」は、1876年春の第2回印象派展に出品された作品で、外光派の風景画家として知られるモネですが、人物画も手掛けていて、日本趣味のこの作品のモデルは夫人のカミーユ・モネです。油彩画で、サイズが231.8x142.3cmの大作です。 日本公開に合わせて、ボストン美術館では1年前から修復に取り掛かっており、その修復についての情報が発信されています。 ---●修復は1972年に1度行われた●1972年の修復の際に除去されたはずの古い天然樹脂が赤い絵具部分の大半で除去しきれずに残っていた●1972年の修復で生地の補強のためにワックス裏打ちが行われていて、そのワックスが絵具の亀裂部分に表出 し、結果的に霧ががかったような不鮮明な画面になっている●部分的に絵具層の剥離が見られるが深刻な状態ではない---というのが概要です。1980年代以降、ワックス裏打ちについてはいろいろな検証が行われるようになりましたが、修復手法は日進月歩です。 日本趣味や日本ブームとジャポニスムとはイコールではなくて、ジャポニスムを美術的な潮流として捕える場合は、、日本美術の実質的な影響は画面構成・色彩構成などに及ぶものです。展示される同時代の作品を対比してご覧になると解かりやすいかも知れません。

みんなの記念日

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入園や入学といった行事も一段落した頃ですが、私の住んでいる都市では毎年この頃に、金婚式を迎えるご夫婦を祝う行事もあったりして、日々それぞれが各々の記念日、“みんなの記念日”なのです。 今やデジタルの時代なので、記念写真をデジカメやスマホでポンポン撮って、沢山撮れるので撮ったきりで見ない写真もあるかも知れませんが、一方、デジタル時代だから管理も楽だし、自分で大きくも小さくもプリントできて楽しみ方の選択肢が増えているのかも知れません。 デジタルデータは媒体の破損や技術進歩による媒体の陳腐化があって、データはあるけど呼び出せないという危険性と背中合わせで、外付けのハードディスクなども10年も経つと、新しいOSでドライバーが用意されていないということもあるので、くれぐれもご注意ください。 長い目で見れば、とりあえずこれはというものはプリントアウトしておく、というのがお勧めです。 フィルム時代のポジの整理をしていると、20年程前、毛利衛さんがシャトル搭乗した少し後の頃だったと思いますが、スペースシャトルを見学した時のポジが出てきました。もちろん当時宇宙へ飛んでいた機体ではなく実物大の見学用機体で、内部へも入れてくれました。スペースシャトルとの交信でテレビに映るワーキングルームは3畳ほどの広さで、実質唯一の居住空間でその上が操縦席という構造なのだそうで、トイレや眠るスペースはその端っこの壁側の小さなスペースにありましたが、この居住空間で国も異なる何人ものクルーが何日も一緒に過ごすとなると、これは何かと大変だろうというのが印象でした。その部屋の後方すぐが宇宙へ様々な資材を運ぶための貨物室になっていて、マニピュレータを操作するステップに立って開いた貨物室の空を見上げながら、宇宙空間の中でこうやって開いているのか、と感慨にふけったものです。機体の下に立つと相当な大きさで、飛行のたびに耐熱タイルを1枚1枚メンテナンスするとなると、いやいやこれは半端ではないぞと思った次第です。 ディスカバリー最後の飛行が2011年2月24日、日本人クルーを多く運んだエンデバー最後の飛行が同年5月16日、アトランティス最後のそして同時にスペースシャトル最後の飛行が同年7月28日。3年前の今頃は国内大変な状況でしたが、一方ではスペースシャトル退役の年だったのです。 スペースシャトルの飛行可能な機体は6機製造

今年も元気な「Museum Start あいうえの」

子供向けの色材とか用具というものを眺めた時、ヨーロッパの物は絵画的で日本の物は筆記文具的、というのが私のざっくりとした印象です。どちらの品質がどうだという問題ではなく、ヨーロッパ製の方が楽しそうで色彩豊かで子供目線で、この差はどこから来るのだろうと思うと、文化的土壌の差というか文化度の厚みの差というか他に言い様が見つかりません。 子供たちを対象とした美術館や博物館の美術展特別プログラムとか教育イベントとかその類の催し物は各地の美術館で随時行われていて、特に5月の「子供の日」に合わせてのイベントは大抵の美術館の恒例行事ですが、その中身は絵画的であったり筆記文具的であったりと様々なのでしょうが、大切なことはそうした場が提供されるということだろうと思います。 東京の上野公園の広範囲な一帯は、日本を代表する様々な文化教育施設が連なっている地域で、日本の文化文物が集積されているとともに、世界から様々な作品が絶え間なく集まる場所で、施設が連なると結果的にその集積が新しい価値を生み出します。 この文化の集積地をフィールドとして展開されているのが、2012年から実施されている「Museum Start あいうえの」です。東京都美術館と東京藝術大学が推進役となって、ミュージアム、大学、行政、市民が手を携えて、新しい学びの機会の創出を目指して、上野公園一帯の9つの文化教育施設(上野の森美術館、恩賜上野動物園、国立科学博物館、国立国会図書館国際子ども図書館、国立西洋美術館、東京国立博物館、東京文化会館、東京都美術館、東京藝術大学)が連携し、子供たちの“ミュージアム・デビュー”を応援するとともに、子供と大人が学びあえる環境を創造する「ラーニング・デザイン・プロジェクト」です。 今年2014年度も実施されていますが、これに参加できるのは、実際問題として物理的に関東圏の子供達になってしまいますが、夏休みなどで東京に滞在できるのであれば参加できなくもない、という感じです。  ⇒ 「Museum Start あいうえの」

知られざるミュシャ展|岡山シティミュージアム

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岡山シティミュージアムで開催中の「知られざるミュシャ展」に出かけました。 この展覧会は昨年2013年3月に京都を皮きりに、広島~福井~名古屋~横浜~岡山と巡回していて、岡山の後は最終会場の三重です。私が入館した時、なんと入館者の99%が女性でその90%が若い学生さんで、平日の午後それも春休みと言うことで当たり前といえば当たり前なのですが、オジサンが私だけというのはどうも不思議な光景でした。 現在日本で開催されているもうひとつのミュシャ展がミュシャ財団のコレクションであるのに対して、この展覧会はチェコのイヴァンチッツェの医師の「チマル・コレクション」といわれるものを中心としたもので、このコレクションは日本初公開、ブルノ博物館-イヴァンチッツェ博物館の所蔵品も含め、初期の素描や肖像画~挿画本~演劇ポスター~商業ポスター・装飾パネル・ポストカード等~晩年の仕事や油絵などの時系列の約160点の展覧で、ミュシャの仕事を手頃に総覧出来る内容です。初期の鉛筆や木炭での素描はミュシャ作品を知る上で興味がわくところですし、ポストカードやパッケージデザインは非常に緻密です。友人だったゴーギャンと一緒に写った写真もあり、改めて19世紀中後期のヨーロッパとりわけ当時の文化的中心地であったパリという時代を感じました。 19世紀中後期のヨーロッパは、産業革命の進展に伴って市民階級に新興富裕層が誕生して、肖像画や客間に飾る絵画等の新規需要が増大し、写真術の実用化で肖像写真の需要が起こり、またフランス革命後の新古典主義、浪漫主義、また印象派が新たに登場してそれらが混在し、クールベ(1819-77)等によってもたらされた芸術家のボヘミアン風潮(芸術や文学に情熱を傾ける自由人的な風潮)が広まり、色材の色数も急速に増え、芸術家の独創的なアプローチの可能性が大きく開かれた時代と言えるかも知れません。また、写真術の発達は画家にとって大きなターニングポイントであった筈です。社会構造や意識が近代化に向けて大きく絶え間なく動いた時代です。 ミュシャ(1860-1939年)が生きた時代は、日本では幕末・明治(1868年~)・大正(1912年~)に当たります。文化的な様式は工業や産業といった時代の流れと大きく関わっていますが、フランスパリの様式は、とりわけ西洋模倣的な明治時代の日本には影響力が大きかったのか、雑誌「明

アルフォンス・ミュシャ

先頃、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)の複製プリントを額に入れたいというご注文があって、女子大生の方でしたが、美術館のミュージアムショップで買われたもので、縦長の構図のサイズということもあってかシートのみの販売だったそうです。あまりコストは掛けられないということでしたので、シンプルながら絵柄四隅のアール形状処理に配慮して仕上げました。 ミュシャはグラフィック広告分野のパイオニアの1人であるとともに、「アール・ヌーヴォー」の代表的な画家です。活躍したのは19世紀末~20世紀初頭で、その作品がプリントとはいえ、時代を経て21世紀の現代の室内装飾の一役を担うというのは喜ばしいことです。 日本では昨年の2013年にミュシャ展が2つ開催されて巡回となっていますので、ご覧になった方も多いかと思います。 2014年度の巡回予定は以下の通りです。 ◎ミュシャ展 -パリの夢 モラヴィアの祈り- ミュシャ財団秘蔵    《日本テレビ開局60年特別美術展》  ・宮城県美術館 2014/1/18---3/23  ・北海道立近代美術館 2014/4/5---6/15 ◎知られざるミュシャ展 -故国モラヴィアと栄光のパリ-   ・岡山シティーミュージアム 2014/3/4---3/30  ・パラミタミュージアム 2014/4/4---5/18 建築・工芸様式の流れは往々にしてルネッサンス以降の諸様式の組合せや反復とも言え、19世紀のフランス革命以降のヨーロッパの建築では、パリのエトワール凱旋門に見られるような古典趣味、浪漫趣味、あるいはこの2つの折衷形式が主流でした。しかし、この時代がそれまでと大きく異なったことは、産業革命に伴って社会が機械化・近代化され、結果として従来の様式に囚われない新しい時代の生活にふさわしい能率的で実用的な建築様式が求められるようになったこと、さらに、工業技術の発達によって石と煉瓦というそれまでの建築材料に「鉄」と「コンクリート」という新素材が登場し新しい胎動が始まったことです。新建築材料による最初の現れのひとつが1899年にパリ万博のために建てられたエッフェル塔です。 こうした中で、ヨーロッパ各地で同時的に興こった様式潮流が「アール・ヌーヴォー」(フランス)という言葉に代表されるもので、植物などの有機的な曲線のフォルムをモチーフとし、必ずしも機能や合理性

名所散策_皇居二重橋お濠沿い高欄

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正月明けの週の東京は相対的にビジターの少ない観光オフシーズン。とはいえ、朝早い東京駅は、それはそれは日本人はもとより海外からの観光客の往来ですさまじい。東京駅からほど近い皇居正門前広場も、外苑からここに至る一帯は障害物がなくて冬は吹きさらしの風が肌を刺すほどに冷たいものの、あたりは外国の言葉が飛び交う賑わい。 皇居正門は一般参賀や外国大使信任状捧呈式の折に使われる皇居への入場門で、正門前広場一帯はテレビ映像などでも見る機会が多いところです。昨年末の新駐日米大使のキャロライン・ケネディ氏の大使信任状捧呈式では、明治生命館→馬場先門交差点→皇居外苑→皇居正門→宮殿南車寄という馬車列のコースであったし、もう少し前だと、2009年11月の天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典で、EXILEが歌とダンスを披露した場所でもあります。 この正門前広場には二重橋のお濠に沿ってブロンズ製の高欄(柵)があって、これはなかなかと趣のある立派なものです。モチーフはお馴染みのアカンサスで、明治21年に作られた鉄製(鉄鋳物製)のものが、平成8年にブロンズ(青銅鋳物)に復元改修されています。ギリシャの神殿柱頭様式のコリント様式と言われていますが、柱の左右の葉端を丸めた柱頭のデザイン処理はイオニア様式的で、実際のコリント様式の神殿柱頭はもっと複雑ながら、全体的に見れば確かにコリント系様式です。 ギリシャ美術は数百年に渡る長い年月の中で、海のギリシャ本土と植民地、あるいは広く地中海地域という立地の中で、民族間の戦役をへながら多様な変遷を遂げますが、大雑把な見方をすれば、時代とともに表現に自由度と描写性が増し、対象が神話的なものから現実の人間主体に移ってゆきます。 建築で装飾性の強いコリント様式が台頭してくるのはギリシャ美術後期で、アレクサンドロス大王がギリシャ全土を征服し、ペルシャ・エジプト・インド国境までを勢力下においたヘレニスティック時代で、さらにその次のローマ時代に多く見られるようになります。ローマ時代の代表的なものとしては、紀元後120年頃のハドリアヌス帝の時代に作られたパンテオンです。ハドリアヌス帝時代のローマというと馴染みが薄いかも知れませんが、話は飛びますが、阿部寛・上戸彩主演の映画「テルマエ・ロマエ」の時代設定がこの時代です。ギリシャとローマの建築物の大きな違いは、ローマ建築にアー