19世紀の写真

東京都写真美術館が本年2014年9月24日から大規模改修工事のため1年程の休館に入ります。1995年1月の総合開館からはや20年近く経ってしまったのかと改めて思ってしまいました。1990年代当時の日本には植田正治写真美術館などの個人名美術館はあったものの、写真美術館という総合的な美術館はなく、写真部門を持つ美術館として、川崎ミュージアム、横浜美術館があったくらいだったと思います。一次開館は1990年で現在とは異なる場所で、駅からの道すがら辺りは閑散としてあまりひと気がなく、建物は平屋で長細く、記憶がはっきりしませんが「写真美術館準備室」という看板もあった様に思いますが、日本にもやっと写真美術館ができる時代になったかと思ったものでした。

1949年にジョージ・イーストマンハウス国際写真美術館(米国ニューヨーク州)が開館していて、欧米諸国では1980年代までには種々の写真美術館が開館しています。写真の誕生はフランスのダゲールがダゲレオタイプを発表した1839年で、以降欧米では写真は芸術の一分野としての地位を確立して行きますが、日本は遅れること4~50年といったところでしょうか。

写真が誕生した1840年代から1900年にかけて様々な印画方式が開発されていていますが、世界各地の美術館・博物館に収集収蔵されている当時の作品の印画方式は大部分がアルビューメンプリント(鶏卵紙)で、塩化銀紙を含めると80%近くになると言われます。1871年にマドックによって今日の感光材のベースとなるゼラチン乳剤が発明されたあとも、バライタ印画紙が実用化される1900年以前までアルビューメンプリントは使用され続け、アルビューメンプリント用の感光材料商品が姿を消したのが1920年代です。卵白を水で希釈する割合で光沢、階調、最高濃度が調整でき、当時の商業写真を含めファインアート作品に広く見受けられます。日本人では1863年に日本での最初の写真師の一人である下岡蓮杖がアメリカ人とイギリス人から鶏卵紙の製法を学んでいるようです。東京都写真美術館では本年2014年3月4日~5月6日「没後百年 日本写真の開拓者 下岡蓮杖」企画展がありました。

写真が登場して急速に需要が拡大した肖像写真は、光とか陰影とか含めその表現のアプローチが肖像絵画的であることを見れば、当時の写真が絵画に劣らないように微細な階調に注意を向けたのであろうことが伺えます。
時代を経るに従い、写真は「絵画の代用ではない写真でしか出来ない表現」へと歩を進め、又絵画は「絵画でしか出来ない表現」へと歩みを進めてゆきます。

1840年代から1900年の印画方式のプリントは「19世紀写真」とか「クラッシックフォトプリント」と呼ばれます。日本の場合は、これらのレベルの高い作品の展覧は概ね関東圏に限られますが、機会があれば是非、生のプリントを出来るだけ近い距離でご覧になって下さい。
  

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