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緑_自然の景観

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オフィス開設のお祝い用にナチュラル系の物、というご注文に沿って、今回は小振りなグリーンボックス(壁面用)をお納めしました。350X350X70(奥行)mm程のボリュームで、開放型アクリルカバー付き。 植物の木々の景観がなんとなく心地よい、というのは大方の共通の感覚らしく、その安らぎ・癒し効果は様々な研究やら実験でも確かめられているようです。 有名なものでは、テキサスA&M大学の教授ロジャー・アルリッチの術後の患者の回復の度合いと窓から見える景色の関係を検証した研究があり、サイエンスに発表されました。胆のうの摘出手術をした患者を対象に、手術後の病室のベッドで寝たまま、他のいろいろな条件がほぼ一緒で、窓の外に見える景色が樹木景観の患者と、レンガ外壁景観の患者のカルテを23対、46名を抽出比較しています。結論のみを搔い摘んで言うと、レンガ景観の患者に比べ樹木景観の患者は、約1日早く退院し、ナース評価でもマイナス評価が少なく、鎮痛剤は量・強度の面で少なく、外科的な合併症も低率であった、という結果となり、自然の景観による治癒効果が確認されました。この病院の外壁は単調で面白みのないレンガ壁であったようです。手術という激しいストレスを受けず日々刺激の少ない生活の慢性的患者にとっては、自然の景観より街中の景観の方が刺激的で健康的に思えるかも知れないものの、それでも検証の結果は、病院設計では窓からの景観の質を考慮しなければならないことが示唆されたとしています。 詳細をお読みになりたい方はこちらをご覧下さい。 ⇒  View through a Window May Influence Recovery from Surgery Roger S.Ulrich / Science,New Series,Volume224,Issue4647(Apr.27.1984),420-421 樹木などの植物の緑は、一口に緑とはいってもその色相の幅は広く、特に新緑の頃に見られる幾層もの緑、さらに光の当り具合で変わる色味、また形の豊かさは人智を超えており、単一ではないその造形の揺らぎは、脳には程良い刺激という気がします。 人間の眼は光に対しての明暗感(視感度)というものがあって、光の各波長エネルギーが等しくてもこれを等しい明るさに感じない。個人差や人種差があって一概には言えないものの一般的に、明るい場

黒&白 BLACK & WHITE

知り合いの写真家の個展オープニングに出かけました。冬のフランスシャンゼリゼ界隈のライカ散歩のモノクローム写真は、2週間程前に見せていただいたテストプリントと少し調子が異なっていて、直前まで試行錯誤された様で、私より年齢はずっと上ながら、そのこだわりは若々しい。 会場には20代~の若い方が多く、というか私が年寄りなのですが、話のなかで若い女性の方から「白黒写真」という言葉が出てきた。私などは昔から「黒白写真」という使い方だったので、「白黒」でも「黒白」でもどちらでもよくて、言葉使いがどうだということではなく、どうして「白黒」という順番になったのか不思議でした。いつもそういう使い方なのと尋ねてみると『そうです、モノクロと言うし』という意味合いのお答だった。 「モノクローム」という表現は写真分野で固有に使われる言葉ではなくて、広く美術の分野で、必ずしも黒ということではなく「単彩・単色」の意味合いで使われます。『モノクロ』はこの「モノクローム」の短縮造語と思います。 欧米での使われ方は「BLACK AND WHITE」と「黒」が先で、イギリスの歴史ある写真材料メーカーのILFORD社での表現も「BLACK & WHITE」であるし、日本の富士フィルムの表現も「黒白フィルム」だし、今やグローバルな国際化時代なので、世界を活動の視野に入れて世界標準の「黒白」と覚えておいた方が良さそうです。 日本でよく使われる「モノクロフィルム」という表現は欧米の人には通じづらく、「BLACK & WHITE FILM」と言えば通じます。同様に、「モノクロ写真」という表現も通じづらく、「Monochrome Photography」とか「BLACK & WHITE Photography」と言えば通じます。 さて、その若い女性の方が持参のカメラは、オリンパス「OM-1」で、レンズは見た感じ「ZUIKO 50㎜F1.4」でした。1973年発売のカメラで、この50㎜は小ぶりながらシャープで優秀なレンズで、反面シャープネス優先的で開放域での描写が硬いというのが私の印象です。これは当時の他のメーカーの同クラス50㎜も同様で、レンズ設計は時代背景に影響されるので、レンズの描写は時代を象徴していると言えそうですが、この頃日本は1964年の東京オリンピック後の高度経済成長期第二期の時代

19世紀の写真

東京都写真美術館が本年2014年9月24日から大規模改修工事のため1年程の休館に入ります。1995年1月の総合開館からはや20年近く経ってしまったのかと改めて思ってしまいました。1990年代当時の日本には植田正治写真美術館などの個人名美術館はあったものの、写真美術館という総合的な美術館はなく、写真部門を持つ美術館として、川崎ミュージアム、横浜美術館があったくらいだったと思います。一次開館は1990年で現在とは異なる場所で、駅からの道すがら辺りは閑散としてあまりひと気がなく、建物は平屋で長細く、記憶がはっきりしませんが「写真美術館準備室」という看板もあった様に思いますが、日本にもやっと写真美術館ができる時代になったかと思ったものでした。 1949年にジョージ・イーストマンハウス国際写真美術館(米国ニューヨーク州)が開館していて、欧米諸国では1980年代までには種々の写真美術館が開館しています。写真の誕生はフランスのダゲールがダゲレオタイプを発表した1839年で、以降欧米では写真は芸術の一分野としての地位を確立して行きますが、日本は遅れること4~50年といったところでしょうか。 写真が誕生した1840年代から1900年にかけて様々な印画方式が開発されていていますが、世界各地の美術館・博物館に収集収蔵されている当時の作品の印画方式は大部分がアルビューメンプリント(鶏卵紙)で、塩化銀紙を含めると80%近くになると言われます。1871年にマドックによって今日の感光材のベースとなるゼラチン乳剤が発明されたあとも、バライタ印画紙が実用化される1900年以前までアルビューメンプリントは使用され続け、アルビューメンプリント用の感光材料商品が姿を消したのが1920年代です。卵白を水で希釈する割合で光沢、階調、最高濃度が調整でき、当時の商業写真を含めファインアート作品に広く見受けられます。日本人では1863年に日本での最初の写真師の一人である下岡蓮杖がアメリカ人とイギリス人から鶏卵紙の製法を学んでいるようです。東京都写真美術館では本年2014年3月4日~5月6日「没後百年 日本写真の開拓者 下岡蓮杖」企画展がありました。 写真が登場して急速に需要が拡大した肖像写真は、光とか陰影とか含めその表現のアプローチが肖像絵画的であることを見れば、当時の写真が絵画に劣らないように微細な階調に注意を向