知られざるミュシャ展|岡山シティミュージアム

岡山シティミュージアムで開催中の「知られざるミュシャ展」に出かけました。
この展覧会は昨年2013年3月に京都を皮きりに、広島~福井~名古屋~横浜~岡山と巡回していて、岡山の後は最終会場の三重です。私が入館した時、なんと入館者の99%が女性でその90%が若い学生さんで、平日の午後それも春休みと言うことで当たり前といえば当たり前なのですが、オジサンが私だけというのはどうも不思議な光景でした。

現在日本で開催されているもうひとつのミュシャ展がミュシャ財団のコレクションであるのに対して、この展覧会はチェコのイヴァンチッツェの医師の「チマル・コレクション」といわれるものを中心としたもので、このコレクションは日本初公開、ブルノ博物館-イヴァンチッツェ博物館の所蔵品も含め、初期の素描や肖像画~挿画本~演劇ポスター~商業ポスター・装飾パネル・ポストカード等~晩年の仕事や油絵などの時系列の約160点の展覧で、ミュシャの仕事を手頃に総覧出来る内容です。初期の鉛筆や木炭での素描はミュシャ作品を知る上で興味がわくところですし、ポストカードやパッケージデザインは非常に緻密です。友人だったゴーギャンと一緒に写った写真もあり、改めて19世紀中後期のヨーロッパとりわけ当時の文化的中心地であったパリという時代を感じました。
19世紀中後期のヨーロッパは、産業革命の進展に伴って市民階級に新興富裕層が誕生して、肖像画や客間に飾る絵画等の新規需要が増大し、写真術の実用化で肖像写真の需要が起こり、またフランス革命後の新古典主義、浪漫主義、また印象派が新たに登場してそれらが混在し、クールベ(1819-77)等によってもたらされた芸術家のボヘミアン風潮(芸術や文学に情熱を傾ける自由人的な風潮)が広まり、色材の色数も急速に増え、芸術家の独創的なアプローチの可能性が大きく開かれた時代と言えるかも知れません。また、写真術の発達は画家にとって大きなターニングポイントであった筈です。社会構造や意識が近代化に向けて大きく絶え間なく動いた時代です。
ミュシャ(1860-1939年)が生きた時代は、日本では幕末・明治(1868年~)・大正(1912年~)に当たります。文化的な様式は工業や産業といった時代の流れと大きく関わっていますが、フランスパリの様式は、とりわけ西洋模倣的な明治時代の日本には影響力が大きかったのか、雑誌「明星」(1900年明治33年、与謝野鉄幹・晶子刊行)の表紙に、1901年から担当となった画家の藤島武二がアール・ヌーヴォー様式もどきの図柄を取り入れています。
ミュシャは、1894年に女優サラ・ベルナールの公演ポスター「ジスモンダ」の制作で輝かしくパリデビューして商業広告デザイナーとして活躍し、アール・ヌーヴォー様式を代表するひとりとなり、1900年のパリ万国博覧会ではボスニア=ヘルツェゴヴィナ館の装飾、招待状のデザインをしています。会場にはその「招待状」の展示もありました。1910年以降は故国チェコに帰国し、商業広告の仕事から遠ざかり、「スラヴ叙事詩」の制作や主に公的な仕事をこなします。
展示されているミュシャ晩年の油絵「エリシュカ」はスラヴ民族衣装を付けた女性の作品で、明るく力強い描写です。ミュシャを写した写真「ミュシャ、最後のポートレート、プラハ」(1937年)も展示されていますが、肖像画の伝統的な側面構図のよい感じで、その姿にミュシャの足跡が重なる思いがしました。

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