浮世絵_錦絵

浮世絵展「浮世絵揃い踏み-平木コレクション-」が開催されます。
Θ岡山県立美術館 Θ2017年7月14日~8月27日

今回の展覧は200点ほどで、歌川広重「東海道五十三次」版元の保永堂版初摺全点が展示されます。
歌川広重生誕220年にあたり、昨年は東京などで関連の展覧会が開催されましたが、地方都市での浮世絵作品群の展覧の機会は少なく、岡山地区での規模の大きな浮世絵展の開催は、2008年7月の「浮世絵の美展-千葉市美術館所蔵-」以来です。岡山近隣地域にお住いの方にはご覧になる絶好のチャンスです。
特に学生さんで、絵画に興味のある方はもとより、デザインナーを志す人たちにもお勧めで、印刷物や映像ではなく、本物を見ることが大切です。文化を理解することは、将来世界で仕事をするうえで大きな力になります。

浮世絵の基本的なスタイルは17世紀末に、浮世絵の祖、菱川師宣(ひしかわもろのぶ、1618-1694年)によって確立されましたが、表現手法は肉筆画や黒一色の版画で、版画による大量生産化によって絵画が安価に一般庶民にも手の届くものとなりました。
時は元禄文化の華やかな頃、絵画では漢画の狩野派、大和絵の土佐派・住吉派、装飾画の尾形光琳などの動きがみられますが、一方で一般の絵師たちは出版本や名所図絵の挿絵分野で腕を振るいます。世相趣向に沿った吉原モノ、歌舞伎モノ、名所記モノなどが人気を博すにつれて、文字と挿絵が主従逆転して挿絵が主役となって、最終的に独立してしまいます。こうして、浮世絵のスタイルが出来上がって行きます。版画の黒一色摺に後から着色したり、さらに2~3色で多色摺したものが登場します。

1765年(明和2年)、浮世絵中興の祖、鈴木春信(すずきはるのぶ、1725-1770年)によって、本格的な多色摺版画が完成され、特に「錦絵」と呼ばれます。今日「浮世絵」といった場合に、一般的に多くの方がイメージされるのは、この「錦絵」です。知名度の高い、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重の版画はこの「錦絵」です。

美人画の流れとしては、17世紀中頃寛文年間の前後に一人形式の美人画が上方を中心に流行りますが、軸仕立てとなるこの美人画の表現スタイルは、後の肉筆浮世絵のスタイルに影響を及ぼしたと考えられます。

江戸時代、その前半期は江戸はまだ発展途上で、文化的隆盛の中心は上方にあり、その趣向・消費のマーケット中心層は貨幣経済で潤った豪商です。軸仕立ての美人画などは一般の庶民には縁遠いものです。この時代の特徴的な社会文化現象は「元禄文化」と呼ばれます。
江戸中期以降、江戸は急速に発展して大都市化し、大消費地となって、江戸文化が形成されるようになります。そのマーケットの中心層は江戸の町人でした。この時代の特徴的な社会文化現象は「化政文化」と呼ばれます。

「錦絵」の完成した頃の日本には、すでに西洋絵画の技法が多かれ少なかれ流入しており、「錦絵」を完成させた鈴木春信の弟子であった鈴木春重(=司馬江漢)は日本での西洋画風技法の先駆者のひとりです。

江戸時代の前後関係があまりピンとこないという方のために、簡単江戸年表。

・初代=家康:1603-1605年在位
・2代=秀忠:1605-1523
・3代=家光:1623-1651
   *水戸黄門(徳川光圀)(1628-1701没)
   *1639 ポルトガル船来航禁止。以降オランダが交易独占
・4代=家綱:1651-1680
   *大岡越前(1677-1752年没)
   *寛文美人画の流行
・5代=綱吉:1680-1709
++ 元禄文化の隆盛 ++ 上方の豪商文化
   *菱川師宣「浮世絵」のスタイル確立
   *1702 赤穂浪士討ち入り
   *生類憐みの令
・6代=家宜:1709-1712
・7代=家継:1712-1718
・8代=吉宗:1716-1745
   《享保の改革1716-45》
   *鈴木春信(1725-1770没)
・9代=家重:1745-1760
   *喜多川歌麿(1753-1806没)
・10代=家治:1760-1786
   *1765 鈴木春信「錦絵」完成
   *1774 解体新書刊行(杉田玄白他)
   *1776 エレキテル(平賀源内) 
   *日本における西洋画風絵画の始まり小野田直武、司馬江漢=浮世絵師鈴木春重)
   *東洲斎写楽
   *葛飾北斎(1760-1849没)
・11代=家斉:1786-1837
   《寛政の改革1787-93》
   《大御所時代1793-1837》
++ 化政文化の隆盛 ++ 江戸の庶民文化
   *歌川広重(1797-1858没)
   *1802-14 十返舎一九「東海道中膝栗毛」
   *1820頃 江戸前握りずし誕生
   *1833-34 歌川広重「東海道五十三次(浮世絵)」
・12代=家慶:1837-1853
   《天保の改革1841-43》
・13代=家定:1853-1858
・14代=家茂:1858-1866
・15代=慶喜:1866-1867
   《大政奉還》

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