ルーブル美術館「サモトラケのニケ」(ギリシャ美術)
©Musee du Louvre / Daniel Lebee et Carine Deambrosis ※この写真は修復前の映像です。 |
※⇒ルーブル美術館公開の修復関連映像
日本にもその実物大レプリカは複数あるとはいえ、一般的には目にすることはまずないものです。
昨年(2014年)末、東京汐留の日本テレビ前に修復完成記念のレプリカが出現、これはなかなかと疑似体験が出来そうでした。
日本テレビはルーブル美術館賛助企業になっているので、この流れでルーブルの収蔵品が定期的に日本で紹介されるプロジェクトが始まっています。
西洋の美術の流れの中では、歴史的変革の折にたびたび回顧指向が現れ、それがローマ帝国さらにその源泉のギリシャ美術で、フランスの凱旋門はローマ風の模倣であるし、またイタリアルネサンスの拠り所はローマ、ギリシャ美術です。
ギリシャ美術が歴史の変遷の中でヨーロッパ全土へ波及したと見れば、ヨーロッパ美術文化の始まりはギリシャ美術であるということになります。
日本で「ギリシャ美術」といった場合、漠然と一般的に知られているのは、アテネの「パルテノン神殿」とか、現在ルーブル美術館に展示されている「ミロのヴィーナス」(メロス島のアフロディテ)とか、今回知名度の上がった「サモトラケのニケ」あたりであろうと思いますが、「パルテノン神殿」は前447~前432年の建築、また「ミロのヴィーナス」は前300~前100年、「サモトラケのニケ」は前190年頃のもので、ギリシャ美術の中期以降、彫像だけなら後期に当たります。
後期の前330年~前30年はヘレニスティック時代と呼ばれますが、表現の主体が神話世界の神々の宗教的尊厳さや崇高さから離れ、現実の人間の優美さや感情に移行した時代で、「ミロのヴィーナス」はその過度期とも見ることができますし、勝利の女神「サモトラケのニケ」の喜びの感情に溢れ強く羽ばたこうとする肉体の表現は、その傾向が強く現れていると言えそうです。
「ギリシャ美術」と言われるものは、紀元前800年頃から紀元前30年ごろまでの実に800年もの長い間に培われてきたものです。
エーゲ海一帯は、紀元前3000年頃のエジプト、メソポタミア文明の発達に伴う海上交易によって発展した地域で、最も強大であったのがクレタ島のクレタ文明です。地域一帯はたび重なる民族の移動によってその分布が変化し、ギリシャ地域はギリシャ民族となるインド・アーリア人種の部族が前2000年~前1100年にかけて移住して来ます。最初に移住したアカイア族は、前1700年頃からギリシャに急速に伝播した当時最盛期のクレタ文明に影響を受けながら、エーゲ海系ギリシャ文化と言えるミュケナイ文明を育み、海軍力を養うに至って、前1400年頃になるとクレタを攻め滅ぼし、エーゲ海の覇者となります。
アカイア族に続きイオニア族、アエオリア族と比較的平和な移住が続きますが、前1100年頃から始まるドリス族の侵攻は、それまでの文化に壊滅的な打撃を与え、先住ギリシャ人の多くはエーゲ海対岸のイオニア地域に移ったと言われ、東西ギリシャ文化圏に分かれます。以降300年程の間、ギリシャ本土は美術的文化不毛地帯と化すのですが、東ギリシャ文化圏に触発されながら、前800年頃から前代のエーゲ海系文化とは異質の新生のギリシャ美術が見られるようになります。
ギリシャ美術 アルカイック時代 前期(前800~前450年)
©R.M.N / Herve Lewandawski 鐘形偶像 前700年頃 ベオティアのテーバイの陶工 高さ 40cm |
©Musee du Louvre / Daniel Lebee et Carine Deambrosis 「オーセル夫人像」前7世紀末 高さ75cm |
©R.M.N / H.Lewandawski 「ケラミスの作品群のコレー」前570~前560年頃 高さ1m92cm |
©アテネ国立考古学博物館 「ディアデュメノス(勝利の鉢巻きを締める人)」前420年頃 ポリュクレイトス原作 《写真作品はローマ時代の模刻》 |
ギリシャ美術 クラシック時代 後期(前400~前330年)
©Musee du Louvre / Daniel Lebee et Carine Deambrosis 「アポロン・サウロクトノス」前340年頃 プラクシエレス原作《写真作品は1~2世紀のローマ時代の模刻》 |
ギリシャ美術 ヘレニスティック時代(前330~前30年)
©R.M.N / H.Lewandawski 「うずくまるアフロディテ」《写真作品はローマ時代の模刻》 |
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