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クロード・モネの黄色いレンズのメガネ

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モネ展(東京都美術館、2015/9/19-)では、モネが晩年に使用したとされる黄色いレンズのメガネが展示されていて、白内障の術後の色補正用に使用されたと言われています。 モネは晩年に白内障を患い、その影響で作品がもやもやと黄褐色がかった色調を呈したとよく言われますが、実際のところその見え具合がどうだったのかとなると、何とも言い難いところです。 1911年前後には相当視力が低下した状態であったようですが、1923年に右眼のみ手術を受けています。 次の映像は1914年のモネとされる映像ですが、症状が進んだ状態でありながら、全体のイメージをつかみながら大画面に描いているということなのでしょう。 Film of Impressionist Painter Claude Monet at Work (authentic video) 白内障は眼の水晶体が白濁または黄濁して光がさえぎられ物が見えにくくなる疾患で、放置すると失明状態となり、さらにさまざまな合併症の危険が高まると言われています。 白内障の実際の見え方は人それぞれ異なると思いますが、光の性質から考えると濁った眼の中では短波長より長波長の方が通過しやすいので、短波長の青系光が眼の奥まで届きにくくなり、長波長の黄や赤は相対的に認識されやすくなり、これに乱反射で像がダブって、さらにフレアーがかかると複雑な見え方になりますが、なによりも眼の奥に届く光が全般的にさえぎられるので、色の明度・彩度ともに低下した状態と言えます。 白内障の疑似的な見え方体感となると、透明性の低い半透明のビニール袋越しに物を見ていただくと明度・彩度が落ちて色相が変わり、色味という点では少し体感できるのではないかと思います。ビニールの重ね枚数を増やせば、色や形が見えなくなり光だけになります。 2015年の現代では医学や医療技術の進歩で白内障手術は比較的安全な手術といわれれる部類に入っていて、失明状態になるまで放置されることは少ないと思いますが、1900年代初頭のモネの時代では危険な手術であったわけで、手術方式も高度ではなく、点眼用の麻酔はあったようですが、現代でも要注意とされる術後の合併症を防ぐ薬はなかったようなので、モネがためらったのも無理はありません。 現代では水晶体を吸引除去したあと水晶体の代わりに人工のレンズを眼...

モネ展(東京展)始まりました

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「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展『印象、日の出』から『水連』まで」が東京都美術館で始まりました。 会期:2015年9月19日--12月13日。モネが亡くなるまで手元に置いていたモネのプライベートコレクションを主体に約90点の展覧。 『印象派』の名称の由来となった作品《印象 日の出 "Impression,Soleil levant"》が期間限定で10月18日まで特別展示されています。 "Impression,Soleil levant"  Musee Marmottan Monet,Paris ©Cristian Baraja 東京都美術館サイト >>> 特設WEBサイト >>> 巡回展 >>> 福岡(2015/12/22-)、京都(2016/3/1-)、新潟(2016/6/4-)

プラド美術館展 | 2015/10/10-2016/1/31 | 三菱一号館美術館

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プラド美術館のコレクションは、15世紀以降の歴代のスペイン王宮によって蒐集された作品群を主体とするものです。 15世紀のルネサンス以降、ヨーロッパの美術の流れを極めて大雑把に分けると、キリスト教新教を奉じた地域では、自由を尊ぶ精神の下で自然科学や活力ある新しい絵画が育ち、一方キリスト教旧教を奉じた地域では、専制的な王権と旧教が結び付いて権力を誇る宮廷趣味の絵画が育ちます。前者の国がオランダであり、後者の国がイタリア・スペイン・南ネーデルランド(スペイン統治下にあった現在のベルギー)・フランスで、古典を尊ぶ「神話画」や権威誇示の歴史的出来事を描いた「歴史画」が上位に位置する崇高な絵画という風潮が必然的に育ちます。 こうした意味で、プラド美術館のコレクションからは宮廷趣味の流れを垣間見ることができそうで、宮廷趣味の権威誇示となるとあながち見上げるような大きな作品になってしまうのですが、今回の展覧作品は小振りなものが選ばれているので、通常目線でゆったりと鑑賞できるのではないかと思います。 三菱一号館美術館は東京駅直ぐの丸の内界隈にあって、今回の美術展は開館5周年記念展.。

フランス18世紀中頃のパステル画

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現在(2015年7月)京都市美術館で開催されている「ルーヴル美術館展-日常を描く-風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄」で展示されている18世紀中頃のフランス絵画、例えば、ジャン・アントワーヌ・ヴァート「二人の従姉妹」、フランソワ―・ブーシェ「オダリスク」、ジャン・シメオン・シャルダン「猿の画家」など、これらはいずれも油絵具で描かれた油絵なのですが、一方で当時のフランスではパステルによる肖像画が熱狂的な人気を博しており、数千人のパステル画家がいたと言われます。 パステル画というと、少なくとも現在の日本ではどういう訳かラフなスケッチ画のように思われているのか、油絵などに比べて影の薄い存在ですが、当時のフランスではすでに完成度の高い作品が描かれています。後の印象派の画家の中で最もパステルに熱心だったドガは当時のモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールの作品を収集し研究したと言われます。 ・・・・・・・・・・ ©The Staatliche Kunstsammlungen Dresden ロザルバ・カリエラ(Rosalba Carriera 1674-1757) 「Faustina Bordoni」 size:445x335㎜ ロザルバ・カリエラはヴェネツィア出身の女性画家で、ルイ15世時代のフランスで活躍し、パステル画の開拓者的存在と言われています。19世紀以前に名声を得た数少ない女性画家のひとりです。 作品が収蔵されている主な美術館: Museum of 18th century Venice(イタリア)、Gemaldegalerie Alte Meister(ドイツ)、Art Gallery of Ontario(米国)、ROYAL COLLECTION TRUST(英国) ・・・・・・・・・・ ©Musee du Louvre, dist.RMN-Grand Palais-Photo M.Back-Coppola モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール (Maurice Quentin de la Tour 1704-88) 「ポンパドゥール侯爵夫人の全身像 」 Portrait en pied de la marquise de Pompadour size:1770x1300㎜ Cha...

和紙_雲肌麻紙_岩野平三郎製紙所

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私などの様に美術画材の世界に関わっていて画用の和紙としてまず頭に浮かぶのは、雲肌麻紙で知られる岩野平三郎製紙所です。越前和紙の伝統技術を継承する手漉き和紙工房です。 平山郁夫画伯の薬師寺玄奘三蔵院の大唐西域壁画、東山魁夷画伯の奈良唐招提寺御影堂の障壁画群などの画紙はここで漉かれました。 一般の方はそういうところがあるのかと思われるかも知れませんが、実はかなり多くの方がその漉き場の映像をご覧になったことがあるはずなのです。 ユニクロ CM 「ヒートテック 紙漉き職人篇〈2011年〉 この映像は実に良く撮れていて、この漉き場の空気を彷彿とさせます。 薄明るい光の中のように見えるのは、漉き場の仕事が窓から差し込む自然光のみので行われている ためです。 私がお邪魔して色々とお話を伺ったのはもう十数年前で、様々な紙が漉かれていて、当時も若い方が多かった様な印象がありますが、和紙文化が若い世代に受け継がれて行く様はなんとも頼もしい。

和紙_ユネスコ無形文化遺産_美濃和紙

昨年2014年末に和紙のユネスコ無形文化遺産への登録が決まって以降、対象となった「石州半紙」(島根県浜田市)、「本美濃紙」(岐阜県美濃市)、「細川紙」(埼玉県小川町、東秩父村)を中心に和紙の話題が各方面で取り上げられることが多くなりました。 和紙そのものが登録されたようなイメージになっていますが、そうではありません。 登録の対象は和紙そのものではなくてその和紙を作る手すき和紙技術で、その登録基準要件はその技術を次世代に伝承する体制が整っていること、言い換えれば、特定の技術の保護伝承に努めている保存団体が存在することが必要です。例えば、美濃市のホームページに《美濃和紙「本美濃紙」今後の事業展開(案)/美濃和紙伝承「千年プロジェクト」》というものが記載されていますが、その実効性の是非はともかく、こうした地域的な取り組みが登録の前提にあります。伝統的な和紙製法を歴代守り続けている個人、というのは当然その対象になりません。 一口に和紙と言ってもその範疇は広く、伝統の技法と熟練の職人技で生み出された和紙も和紙であるし、あるいは機械で漉かれた和紙も和紙であるし、また特定の伝統技法ではなくても和紙原料を使用して漉かれた紙も品質はともかく和紙です。 紙を漉く時の「流し漉き」が和紙の特色のように解説した記事も見受けられますが、確かに歴史的変遷や今回対象となった和紙はそうなのですが、「溜め漉き」で作られ独特の風合いを持つ和紙もあります。技法はあくまで目標の品を創るための手段なので、目標が異なれば技法も異なります。 和紙は、古くからの仏教経典の写経用紙など文字を書く用途以外に、傘・襖・障子・器等の生活用品、あるいはまた版画・絵画等の画紙、またタイプライター用の薄葉紙、等々さまざまなところで使われてきましたが、手すき和紙産業全般で見れば、年々とそのシェアーを落とすとともに、経済産業省の統計によると、和紙生産に携わる人口は2012年620人余りで、1960年の1万人余りに比べると10分の1以下、という状況です。 「美濃和紙」と一般的に呼ばれる紙は、絵画の分野でも古くからポピュラーな紙なのですが、昨年無形文化遺産登録の対象となったのは、その中の「本美濃紙」の伝統技法です。現在、絵画向けに流通している通常品は「新美濃紙」と呼ばれるものです。 もう15年も前になるかと思いますが...

情報とオリジナルの質のギャップ

絵本挿絵作家の米本さんが2週間ぶりに当工房へご来房。来たる5月に君津市民文化ホールで開かれる《スーホの白い馬/西川古柳(人形浄瑠璃・八王子車人形)x美炎(馬頭琴)×米本久美子(描下ろしイラスト映像)のコラボ公演》の背景用に描いた原画の額装のご要望でしたが、先日来1週間に渡った東京下北沢での個展では色々な人との出会いやら繋がりの輪も広がったそうで、オープニングの馬頭琴・美炎さんのライブも盛況で、加えて、ライブの時の料理がとてもおいしかった、といろいろと収穫多き個展だったようです。 オープニングライブの美炎さんのブログを読んでいるとこんなくだりがありました。 『・・・映像とのコラボはとても評判が良かったです。(米本さん関係の)出版社の方に、今日来る前に美炎さんの動画をYouTubeで検索していくつか聞いたんだけど、生演奏と全然違うね!あれは逆効果だから、かえってUPしない方がいいよ。音質も映像もいいのを撮ってUPしないと、もったいないよ。ということでした。むむむ・・何か考えないといけませんね。・・・』 活動のひとコマをスナップショット的に紹介している動画のことだろうと思いますが、生演奏の方が悪かったという話よりも良いものの、情報とオリジナルの質のギャップというのは考えさせられてしまう問題です。 情報発信が手軽にできてしまう現代、平面の美術作品にも当てはまりそうな話です。 さてさて、美炎さんは来たる4月29日、岡山県牛窓でライブだそうです。 岡山県瀬戸内市牛窓町 カフェてれや 19:30? 2500円 ワンドリンク付き https://ja-jp.facebook.com/tereyacafe http://tere-ya.at.webry.info/

ルオーとフォーヴの陶磁器

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「 ルオーとフォーヴの陶磁器 」展が始まりました。〈パナソニック汐留ミュージアム、2015年4月11日~6月21日〉 マティス、ドラン、ヴラマンク、ルオーなど1905年のサロン・ド―トンヌでフォーヴィスム(野獣派)と称された画家達が、当時、陶芸職人アンドレ・メテの工房で取り組んだ絵付け陶磁器が紹介されてます。日本にはコレクションが少なく、フランスからの来日作品70余点は日本初公開、メテの作品18点は世界初公開ということで、当たり前ですがマティスの絵付けはマティスらしいし、ドランはドランらしいし、ルオーはルオーらしい。なかなかと楽しめます。 フォーヴの陶磁器作品は1907年のサロン・ド―トンヌにまとめて出品され、またルオーは1906年~13年の長期に渡り熱中したようです。 1900年頃はどんな時代であったかというと 1899年|明治32年|フランスで翌年の万国博覧会に合わせてエッフェル塔が完成 1900年|明治33年|パリ万国博覧会 1903年|明治36年|第一回サロン・ドートンヌ(フランス) 〃〃〃〃〃〃〃〃〃 ゴーギャン死去 〃〃〃〃〃〃〃〃〃 米国でライト兄弟が飛行機の有人飛行 1906年|明治39年|セザンヌ死去 1907年|明治40年|ピカソ「アヴィニヨンの娘たち」(キュビズムの萌芽) サロン・ド―トンヌがスタートした1903年のポスターを見ると、なんとなく時代感が伝わってきます。 ⇒  サロン・ド―トンヌ展ポスター フォーヴィスムは「野獣派」という意味合いで、1905年のサロン・ドートンヌでのマティスをはじめとする一群の若い画家たちの強烈な色彩とタッチの作品から命名されたのですが、流れとしては、ゴーギャンやゴッホやセザンヌのマチエールや色面構成に触発され、また日本の浮世絵などからも示唆を受けながら、自然主義的描写でない個々の感覚による色彩表現を追求するというものなので、新しい流れに転換して後は、個々が自分の個性に沿って行動していて、芸術上のまとまった主張という点では、5~6年で消滅しています。

風俗画!ルーヴル美術館展「日常を描く---風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄」!

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≪ルーヴル美術館展「日常を描く---風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄」≫が国立新美術館で開催中〈東京六本木、~6月1日〉です。3月27日現在で来場者が20万人突破ということで、なかなかと盛況の様子です。 この展覧会は京都へ巡回されますので関西以西の方には京都が好都合です。 =京都展= 会場:京都市美術館(京都市左京区・岡崎公園内) 会期:2015年6月16日(火)-9月27日(日) 京都展開催概要: http://www.ytv.co.jp/louvre2015/info/index.html 展覧作品は「風俗画」としてしまうにはやや枠を超えているし、またカテゴリー別の構成はそれはそれで面白い発見もあるかも知れないものの、結果的には断片的で作品の地政的関係が希薄、悪く言えばごちゃまぜになっているので、流れ的にはわかりづらいのではと心配しつつ、それはさておき、特段に「風俗画」とうたわなくても良い程に主だった作品が並んでいるので、年代と地域さえ踏まえて観れば、ルネサンス以降の16~18世紀のヨーロッパ絵画の変遷に触れることができます。また、展覧作品に共通することは「キャンバス(画布)に描かれた油彩画(一部「板」)」であるので、ルネサンス以降本格化する油絵の地域性を見ることもできます。ただ、絵具は現代のようにチューブから絞り出してすぐ使えるような便利なものはなく、また色数も少ないものでした。 純粋に独立した「風俗画」又「風景画」がヨーロッパに展開するのは17世紀のオランダで、その時代のオランダを代表する作家は、レンブラントまたフェルメールですので、この17世紀オランダを基準に、16世紀のヴェネツィア絵画、フランドル絵画、スペイン絵画、18世紀のフランス絵画を比較しながらご覧になれば、絵画的傾向の違いが解説なしになんとなくわかるのではないかと思います。絵を飾る額縁にも国や時代の風潮が反映されているので、作品と合わせ額縁にも少し気を留めながらご覧になると良いと思います。但し、すべてがフランスルーヴル美術館で展示に使用されている額縁という訳ではありません。フェルメールの「天文学者」もイメージは類似していますが、ルーヴルでの額縁とは異なります。 「風俗画」という言い回しは美術の分類で便宜的によく使われますが、「風俗画」の対比語は、15世紀的視点に立つと「宗教(教会)画」、18世紀...

アクロポリスのパルテノン神殿(ギリシャ美術)

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ギリシャのアテネにあるパルテノン神殿はその2000数百年の歴史の中で、戦争や破壊や略奪、さらに不十分な補修や大気汚染などによるその損傷は少なくない状態のようですが、現在大がかりな修復作業が進んでいます。 前回のブログで触れましたが、前1100年頃から始まるドリス族のギリシャ本土への侵攻は、それまでの文化に壊滅的な打撃を与え、先住ギリシャ人の多くはエーゲ海対岸のイオニア地域に移ったと言われ、東西ギリシャ文化圏に分かれます。以降300年程の間、ギリシャ本土は美術的文化不毛地帯と化すのですが、東ギリシャ文化圏に触発されながら、前800年頃から前代のエーゲ海系文化とは異質の新生のギリシャ美術が見られるようになります。 西文化圏はドリス式、東文化圏はイオニア式と言われる特徴を持ち、時代が進むに連れてそれらが融合されながら発展して行きます。 パルテノン神殿はそのドリス式とイオニア式様式を融合させた新しいタイプの神殿で、柱はドリス式様式であるものの、ドリス式の場合正面の柱は通常6本であるところがイオニア式の8本となっており、また、イオニア式建築独自のフリーズ彫刻も内部に施されています。 パルテノン神殿を間近に見ることの出来るアクロポリスミュージアム(=新アクロポリスミュージアム、2009年オープン)には、パルテノン神殿を始めギリシャ美術の様々な時代の作品が保存されています。 以下ビデオ映像をお楽しみください。 ミュージアムショートヴィジット    ©TheAcropolisMuseum パルテノン神殿彫像のミュージアムへの移動    ©TheAcropolisMuseum ミュージアムのアルカイック時代フロアー階上でのミュージカルイヴニング   ©TheAcropolisMuseum

ルーブル美術館「サモトラケのニケ」(ギリシャ美術)

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©Musee du Louvre / Daniel Lebee et Carine Deambrosis ※この写真は修復前の映像です。 フランスのルーブル美術館で、「サモトラケのニケ」の修復と設置場所であるダリュの大階段の改修が完了し、一般公開が始まりました。     ※⇒ ルーブル美術館公開の修復関連映像 日本にもその実物大レプリカは複数あるとはいえ、一般的には目にすることはまずないものです。 昨年(2014年)末、東京汐留の日本テレビ前に修復完成記念のレプリカが出現、これはなかなかと疑似体験が出来そうでした。 日本テレビはルーブル美術館賛助企業になっているので、この流れでルーブルの収蔵品が定期的に日本で紹介されるプロジェクトが始まっています。 西洋の美術の流れの中では、歴史的変革の折にたびたび回顧指向が現れ、それがローマ帝国さらにその源泉のギリシャ美術で、フランスの凱旋門はローマ風の模倣であるし、またイタリアルネサンスの拠り所はローマ、ギリシャ美術です。 ギリシャ美術が歴史の変遷の中でヨーロッパ全土へ波及したと見れば、ヨーロッパ美術文化の始まりはギリシャ美術であるということになります。 日本で「ギリシャ美術」といった場合、漠然と一般的に知られているのは、アテネの「パルテノン神殿」とか、現在ルーブル美術館に展示されている「ミロのヴィーナス」(メロス島のアフロディテ)とか、今回知名度の上がった「サモトラケのニケ」あたりであろうと思いますが、「パルテノン神殿」は前447~前432年の建築、また「ミロのヴィーナス」は前300~前100年、「サモトラケのニケ」は前190年頃のもので、ギリシャ美術の中期以降、彫像だけなら後期に当たります。 後期の前330年~前30年はヘレニスティック時代と呼ばれますが、表現の主体が神話世界の神々の宗教的尊厳さや崇高さから離れ、現実の人間の優美さや感情に移行した時代で、「ミロのヴィーナス」はその過度期とも見ることができますし、勝利の女神「サモトラケのニケ」の喜びの感情に溢れ強く羽ばたこうとする肉体の表現は、その傾向が強く現れていると言えそうです。 「ギリシャ美術」と言われるものは、紀元前800年頃から紀元前30年ごろまでの実に800年もの長い間に培われてきたものです。 エーゲ海一帯は、紀元前3000年頃のエジプト、メソポタミア文明の発達に伴...

絵具の今昔_2015年春

絵具に使われる顔料、顔料というのは微粒の着色材料のことなのですが、近頃では円安やらヨーロッパメーカーの生産事情やらで、その価格の高騰が顕著のようで、絵具メーカーとしての選択肢は、採算が合うように価格を改定するか、あるいは価格改定しても高価に成り過ぎて売れないならば廃番とするか、ということになります。 昨年2014年末ホルベイン工業の専門家向けグレードの絵具で大幅な価格改定があったものは緑系の「ビリジャン」と赤系の「バーミリオン」で、ともに伝統的に使われてきた色味です。 絵を描くための色材の歴史は、紀元前の遙か古代に始まっています。 紀元前2万年頃は、黒色は燃えかすの炭、また有色のものとしては特別な技術がなくても採取でき得る地中の土系顔料の白亜・緑土・オーカー・アンバーというものでした。 紀元前2000~1000年頃の青銅器時代は、新たに鉱物系顔料の辰砂(赤系)・けい冠石(オレンジ系)・アズライト(青系)・オービメント(黄系)・マラカイト(緑系)、また人造無機顔料として現代でもお馴染みの鉛白が登場し、さらにインジゴ・エゾバイ貝から作られるチリアンパープル(古代紫)・銅板を腐食させて作られるベルデグリ(緑系)も使われたと言われます。 13~15世紀は、ガラス産業や染色産業の発達に伴って色数が増えるとともに、技術の進展で天然辰砂の粉砕物より鮮やかなバーミリオンやウルトラマリンが登場します。 19世紀頃から化学技術の進展によって、クロム系顔料が誕生し色材は拡大し、1838年にビリジャンが登場します。 色材は不安定なものは自然淘汰され現代に到っているので、残っている色材は残るべきして残ったということが言えそうです。 ビリジャンは緑系の中で堅牢性がトップレベルで希酸・希アルカリ・光に耐久性があり、又透明性が高く、着色力に優れ、どのメディウムとの混合にも問題がなく、色味も特徴的で広く世界的に受け入れられた顔料です。 バーミリオンは古くは天然の辰砂を粉砕した物が使われ、ポンペイやローマの壁画にも認められていますが、14世紀前後には人工的に作られるようになったようで、天然辰砂と人工バーミリオンは化学的物理的に同一のもので、15世紀のイタリアの画家達が使用したのは人工のバーミリオンであったと言われ、以来西洋中世時代には比類のない鮮やかな朱色として青や緑と対比するように使われています。 ...

フランドルルネサンス_ベルギー

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新春はたまたまベルギービールを味わったのですが、写真の品はトラピストビールと呼ばれる種類で修道院の醸造所で造られているものだそうで、すこぶる味わい深いビールです。左のシメイトラピストブルーはアルコール度9%で、ラベルには1862年から製造が開始されたとあり、ピリッとした味と豊かな香りが奥深く上々です。右のアヘルブラウンはアルコール度8%で、近年醸造が再開されたようで、甘渋い香りが幾層にも広がります。ビール自体は中世の時代から造られていたようですが、ベルギーの気候風土や文化の中で造られ生まれてきた個性豊かな味わいに感心しながら、ベルギーが独立する遙か前の中世~近世のベルギー界隈であったフランドルに思いを巡らせました。 日本では昨年後半から今年(2015年)にかけて、イタリアルネサンス時代の美術作品の展覧会が目白押しですが、そのルネサンスが最初に花開いたイタリアのフィレンチェの機運に刺激されながら、北方ヨーロッパでもルネサンスが開花して行きますが、その中心となったところがフランドル地方でした。 フランドルは14世紀頃から交易の発達に伴いイタリアに劣らないほどに商工業が盛んになりますが、元来農業国で地理的条件で見れば気候や土地に恵まれていたわけではなく、絶えず厳しい自然と対峙しなければならない環境にあり、イタリアルネサンスが古代ローマ・ギリシャ風であったことに比べ、フランドルルネサンスが自然主義風であったのは、その文化風土の違いに由来すると言えそうです。 フランドルは織物業の栄えたところですが、ルネサンス文化が成熟するに連れその中心地であった現在のベルギーのブリュッセルの織物、またレース、刺繍は他の追随を許さない程に発展します。 イタリアのフィレンチェと同様に織物業が栄えたフランドルでルネサンスが開花したというのは奇遇ですが、文化的な新しい胎動が起るのは常に商工業活動が活発で市民レベルの自由な経済発展をした地域である、ということに美術の歴史を巡っていると気づきます。 当時、イタリアに始まったルネサンスが開花した国は、フランドル、フランス、ドイツなどで、これに比べスペイン、イギリスではその波及は小さいものでした。 織物業の発展が直接的にルネサンスを推進したわけではないものの、織物業の発展に伴ってその地域に様々な染料が集積し、絵画などの着色に流用出来得る色材の入手がより容易で...

『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』映画(ドキュメンタリー)

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英国のナショナル・ギャラリーのドキュメンタリー映画のご紹介です。 『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』2015年1月17日~、Bunkamuraルシネマ他順次全国ロードショー。上映時間173分。 世界屈指の美術館である英国のナショナル・ギャラリーを3カ月に渡り撮影したドキュメンタリーで、所蔵する名画、専門家によるギャラリートーク、世界トップレベルの修復師達の職人技などが収められています。ラストシーンでは、ティッツアーノの絵画と英国ロイヤル・バレエ団との幻想的なコラボレーション。 いつかは撮影したいと30年間切望し続けた監督のフレデリック・ワイズマン氏は84歳。第71回ヴェネチア国際映画祭栄誉金獅子賞受賞。 公式サイト 大規模ではないながら世界有数の美術館として一目を置かれるナショナル・ギャラリーの単なる収蔵作品の紹介に留まらず、その舞台裏にカメラがはいりこみ、その真の姿に肉薄したドキュメンタリーです。 ナショナル・ギャラリーは、階級や貧富の差なくすべての市民が来館できるようにという基本的な考え方のもとで、立地はアクセスの良いロンドンの中心地にあって、常設展は基本的に無料で、基本的にというのは募金箱があるので寄付できる人はどうぞということで、一方で収蔵品の質の高さは充実していて、また、それを支えるスタッフのレベルも高く、これはこの美術館の持っている文化風土の質の高さなのかもしれません。豊かな収蔵品は西洋美術の変遷を総覧でき得るものですが、美術の変遷は単なる美術の歴史ではなく、時代に影響され育まれた人間の文化史でもあり、美術は知識として習うものというより体感するものというのが良さそうで、3時間に及ぶこのドキュメンタリーは見る人それぞれに様々な示唆を与えてくれそうです。 映画の公開は、東京では2015年1月17日からスタートですが、順次全国公開なので、地方での公開は数か月のずれが生じます。 劇場情報⇒ http://www.cetera.co.jp/treasure/theater.html